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2016.07/30 [Sat]
王女たちの塔 グラナダ「アルハンブラ物語」の舞台
王女たちの塔 ~サイダ、ソライダ、ソラアイダ~
イベリア半島南部、いまで言う南スペインに、ナスル朝グラナダ王国が成立したのは、イスラム支配の時代(716年~1031年)はとうに過ぎ、キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)の波涛が押し寄せる1238年のことであった。政治的には凋落期でありながら、文化的な絶頂期に達していた文明の、きらめきと規模の大きさを偲ぶことができる。

7月末日撮影 アルカサバ(城壁)よりアルバイシンの丘を臨む
前回のグラナダの旅、アルハンブラ宮殿の中でいつもと違っていた所。
ワシントン・アービング著「アルハンブラ物語」の中に描かれた美しくも悲しい伝説の舞台となった塔である。
王宮から離宮に向っていく城壁沿いの小道の横に建っている。
時間が許す限り、物語のあらすじを思い返しながら、ヘネラリーフェ離宮までの小道を歩いていく。
この塔の中に入れるのは稀なること。特別に期間限定で一般公開されるそうだ。
この Torre de las Infantas;王女たちの塔はアルハンブラの数ある塔の中で際立った存在で
傍を通りながら、いつか入れる日を願っていた。

宮殿から、フェネラリーフェの離宮に続く王女たちの塔
モハメット9世とキリスト教徒出身の寵姫との間に三つ子として生まれた姉妹、
その名は、サイダ、ソライダ、ソラアイダ。
話をすると長くなるが、捕虜となった3人のキリスト教徒の騎士たちと密かに禁断の恋をして、駆け落ちの計画を実行に移すことになった。かの物語の描写によれば、この窓から縄梯子を伝って脱出したとある。しかし、末娘だけは迷った末に、塔に残る道を選び、孤独と悲嘆のうちに短い生涯を終えて、ここに埋葬されたという。
学生時代にこの本を読んで、「アルハンブラの思い出」のトレモロのメロディを聴き、この地を訪れる多くの観光客と同じ様に、アルハンブラに憧れた。
二十代はじめに初めてグラナダの地を踏んだときは、本当に驚いた。
北スペインの瀟洒な城やアランフェス宮殿と混同して、バラ色のパステルカラーに彩られた優雅な宮殿を想像していたが、実際の外観は厳しい石と煉瓦造りの軍事要塞でもあった。
王女たちの塔

しかし、目くるめくアラベスクの内装には幻惑されて、殊にハレムの二姉妹の間の石膏細工による鍾乳石飾りの天井には心奪われた。あたかも天空から蜜が滴り落ちてくるような光景だったと記憶している。
だが、案内人もつけず、ガイドブックの代わりにアルハンブラ物語一冊片手に、若気の至りで写真だけとりまくっては、あっという間に王宮内を通り抜けてしまった。まるで狐につままれたように、夢が醒めると、いつの間にかパルタルの庭に放り出されていた、という感覚だった。
いったい、あの王女たちの物語の塔の内部はどうなっているのか、入ることは可能だったのか?それを知る由もなく、まあ、名前は意味ありげだが単なるフィクション伝説だったのかも・・・と思えてきた。後にこうしてああ、ここがそうだったのか・・と知った時の感動と興奮は忘れられない。
しかしながら、扉が開くのは極めて稀なことであった。
写真撮影は禁止なので、心の眼でみたもの、聴いたものを、魂に留めておこう。
内部はパティオ形式の小さな空間だが、何か凝縮されて張り詰めた気のようなものが感じられる。
確かに人の住んでいた気配が感じられた。それも、遠い遠い昔に。
緻密な石膏細工のアーチと壁が階上まで展開している。天井を見上げると、虚空へと向うような深い闇。さほど高さがあるとは思われないのに、遥かな高みへと上昇していくような、この不思議な感覚はどこからやって来るのだろうか。
パルタルの庭園

花々の競演 ここも霊感あふれる素晴らしい気の良い場所
ヘネラリフェ離宮庭園の最大の見所、アセキアの中庭

「アルハンブラの思い出」というギターの美しいトレモロ奏法のメロディーはここの噴水を
イメージして作られたのだと思う
名曲中の名曲 「アルハンブラの思い出」
噴水のようなギターのトレモロがほてった体を涼ませてくれます
アルハンブラ宮殿は世界中から観光客が訪れる名所となっているが、元はスペインに屈服させられたイスラム教徒の宮殿であるということを忘れてはならない。その象徴的な意味から現在スペイン屈指の世界遺産となっているのである。
すなわち、現在のスペイン国家は 公式には、キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)の過程で、それまでのイスラム的な文化を払拭して建てられたカトリック教国でありながら、現実にはスペインをスペインたらしめる数多くの文化が、イスラムにその多くを負っているということである。スペインを訪れるイスラム教徒たちは、このアルハンブラを他の誰にも増して特別な気持ちで見るという。
『アル・アンダルース』イスラム支配の版図を、彼等はこう呼んだ。アンダルシアの語源ともなった言葉である。彼等にとってアルハンブラは『アル・アンダルース』の象徴であり、イスラムの支配と信仰が砕かれてもなお、スペインに残った輝かしい遺産なのである。
そのアルハンブラ宮殿を世界に知らしめたワシントン・アーヴィングの『アルハンブラ物語』で、最も思い出に残るエピソードは「サイダ、ソライダ、ソラアイダ」の三姉妹だという読者は多い。今回、物語から想像できうる昔のグラナダ王国に、タイムトリップしたような境地であった。
ご開帳日のまれな三姉妹の塔の 次の興味の対象としては、パルタルの庭に近い「貴婦人の塔」の望楼がある。いつかその機会はめぐって来るだろうか。願いかなわずこの身が朽ちても、いつか子孫に望みを託して、その感動を天に居る自分に伝えて欲しいものである。
そんな思いを込めて、アルハンブラの神秘的装飾「生命の木」に願いを込めてきた。
美雨
美雨の一番好きな装飾 『生命の樹』(北柱廊)

幾何学で生命を表わしたこの木から、音楽が聞こえてきませんか
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イベリア半島南部、いまで言う南スペインに、ナスル朝グラナダ王国が成立したのは、イスラム支配の時代(716年~1031年)はとうに過ぎ、キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)の波涛が押し寄せる1238年のことであった。政治的には凋落期でありながら、文化的な絶頂期に達していた文明の、きらめきと規模の大きさを偲ぶことができる。

7月末日撮影 アルカサバ(城壁)よりアルバイシンの丘を臨む
前回のグラナダの旅、アルハンブラ宮殿の中でいつもと違っていた所。
ワシントン・アービング著「アルハンブラ物語」の中に描かれた美しくも悲しい伝説の舞台となった塔である。
王宮から離宮に向っていく城壁沿いの小道の横に建っている。
時間が許す限り、物語のあらすじを思い返しながら、ヘネラリーフェ離宮までの小道を歩いていく。
この塔の中に入れるのは稀なること。特別に期間限定で一般公開されるそうだ。
この Torre de las Infantas;王女たちの塔はアルハンブラの数ある塔の中で際立った存在で
傍を通りながら、いつか入れる日を願っていた。

宮殿から、フェネラリーフェの離宮に続く王女たちの塔
モハメット9世とキリスト教徒出身の寵姫との間に三つ子として生まれた姉妹、
その名は、サイダ、ソライダ、ソラアイダ。
話をすると長くなるが、捕虜となった3人のキリスト教徒の騎士たちと密かに禁断の恋をして、駆け落ちの計画を実行に移すことになった。かの物語の描写によれば、この窓から縄梯子を伝って脱出したとある。しかし、末娘だけは迷った末に、塔に残る道を選び、孤独と悲嘆のうちに短い生涯を終えて、ここに埋葬されたという。
学生時代にこの本を読んで、「アルハンブラの思い出」のトレモロのメロディを聴き、この地を訪れる多くの観光客と同じ様に、アルハンブラに憧れた。
二十代はじめに初めてグラナダの地を踏んだときは、本当に驚いた。
北スペインの瀟洒な城やアランフェス宮殿と混同して、バラ色のパステルカラーに彩られた優雅な宮殿を想像していたが、実際の外観は厳しい石と煉瓦造りの軍事要塞でもあった。
王女たちの塔

しかし、目くるめくアラベスクの内装には幻惑されて、殊にハレムの二姉妹の間の石膏細工による鍾乳石飾りの天井には心奪われた。あたかも天空から蜜が滴り落ちてくるような光景だったと記憶している。
だが、案内人もつけず、ガイドブックの代わりにアルハンブラ物語一冊片手に、若気の至りで写真だけとりまくっては、あっという間に王宮内を通り抜けてしまった。まるで狐につままれたように、夢が醒めると、いつの間にかパルタルの庭に放り出されていた、という感覚だった。
いったい、あの王女たちの物語の塔の内部はどうなっているのか、入ることは可能だったのか?それを知る由もなく、まあ、名前は意味ありげだが単なるフィクション伝説だったのかも・・・と思えてきた。後にこうしてああ、ここがそうだったのか・・と知った時の感動と興奮は忘れられない。
しかしながら、扉が開くのは極めて稀なことであった。
写真撮影は禁止なので、心の眼でみたもの、聴いたものを、魂に留めておこう。
内部はパティオ形式の小さな空間だが、何か凝縮されて張り詰めた気のようなものが感じられる。
確かに人の住んでいた気配が感じられた。それも、遠い遠い昔に。
緻密な石膏細工のアーチと壁が階上まで展開している。天井を見上げると、虚空へと向うような深い闇。さほど高さがあるとは思われないのに、遥かな高みへと上昇していくような、この不思議な感覚はどこからやって来るのだろうか。
パルタルの庭園

花々の競演 ここも霊感あふれる素晴らしい気の良い場所
ヘネラリフェ離宮庭園の最大の見所、アセキアの中庭

「アルハンブラの思い出」というギターの美しいトレモロ奏法のメロディーはここの噴水を
イメージして作られたのだと思う
名曲中の名曲 「アルハンブラの思い出」
噴水のようなギターのトレモロがほてった体を涼ませてくれます
アルハンブラ宮殿は世界中から観光客が訪れる名所となっているが、元はスペインに屈服させられたイスラム教徒の宮殿であるということを忘れてはならない。その象徴的な意味から現在スペイン屈指の世界遺産となっているのである。
すなわち、現在のスペイン国家は 公式には、キリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)の過程で、それまでのイスラム的な文化を払拭して建てられたカトリック教国でありながら、現実にはスペインをスペインたらしめる数多くの文化が、イスラムにその多くを負っているということである。スペインを訪れるイスラム教徒たちは、このアルハンブラを他の誰にも増して特別な気持ちで見るという。
『アル・アンダルース』イスラム支配の版図を、彼等はこう呼んだ。アンダルシアの語源ともなった言葉である。彼等にとってアルハンブラは『アル・アンダルース』の象徴であり、イスラムの支配と信仰が砕かれてもなお、スペインに残った輝かしい遺産なのである。
そのアルハンブラ宮殿を世界に知らしめたワシントン・アーヴィングの『アルハンブラ物語』で、最も思い出に残るエピソードは「サイダ、ソライダ、ソラアイダ」の三姉妹だという読者は多い。今回、物語から想像できうる昔のグラナダ王国に、タイムトリップしたような境地であった。
ご開帳日のまれな三姉妹の塔の 次の興味の対象としては、パルタルの庭に近い「貴婦人の塔」の望楼がある。いつかその機会はめぐって来るだろうか。願いかなわずこの身が朽ちても、いつか子孫に望みを託して、その感動を天に居る自分に伝えて欲しいものである。
そんな思いを込めて、アルハンブラの神秘的装飾「生命の木」に願いを込めてきた。
美雨
美雨の一番好きな装飾 『生命の樹』(北柱廊)

幾何学で生命を表わしたこの木から、音楽が聞こえてきませんか
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