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2017.11/05 [Sun]
世界遺産 昌徳宮(チャンドックン) 後苑ウォーク
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世界遺産 昌徳宮(チャンドックン) 後苑ウォーク
昌徳宮は、李王朝時代に建立された離宮。公的空間「宮閥」と王家の居所「宮」、王たちの憩いの庭園「後苑」にわけられる。
後苑では300年を超える巨木と池、東屋(あずまや)が見事に調和しており、敦化門や錦川橋など、貴重な文化財が遺されています。

はじめに
月曜日休館というこの宮、不思議とご縁がなくて、過去二回とも行こうとすると月曜日。(涙)
土曜日着の、月曜帰りの駆け足ツアー、着いた土曜日しかチャンスはありません。ハイ、行くっきゃありません。
しかしながらいつもストレスフルなのが、パッケージツアーのルールです。宿と航空券のセットになったパックでは、せっかく観光目当て午前着便を選んでも、必ずと言ってよいほど土産物屋、免税店へと自動的に連れて行かれ、ホテルのチェックインが3時だから、という理由で、自分にはありがた迷惑な免税店に他のパッケージ旅客と運ばれてしまい、貴重な何時間かを奪われてしまいます。せっかく午前中にソウル入りしても、ホテルに三時では、そのあと急いでも間に合わないことに。それで団体客送迎バスサービスを放棄して、ひとりで地下鉄でホテルへ。荷物を預け、身軽になって昌徳宮へダイレクトにgo!
そう、ありがたいことにホテルのあるプモンからはダイレクトに昌徳宮にバス便が出ていたのです。
バスで約30分、午後二時には憧れの昌徳宮へ到着!
お目当ての後苑ガイドの入場時間は制限があり、午後は12:30,14:30,最終は16:30となっています。
友人とこの宮の正門で落ち合う約束をし、次の後苑入場の時間をチェックしつつ、彼女が着くまで隣の昌慶宮を散策したりしていました。
しかし、初めてソウルに来た友人は、お祭りの渋滞につかまってタクシーでホテルから一時間半詰められてしまったそうで、初めてでも地下鉄を勧めるべきだったかな、と反省。しっかりものの彼女なら来れそうでした。
なんとか16:30分の後苑の最終入苑に滑り込みセーフ♪ 昌徳宮の女神よ、ありがとう・・・!

昌徳宮 仁政殿
自分には一寸いかつめらしい閣内各司、まつりごと各省庁の壮麗な楼閣は、景福宮はじめお腹いっぱい観ていたこともあり、やはり、李王朝の究極の癒しのスポットであり、秘宮、禁苑とよばれた、奥のカーテンを覗いてみたいいと望むのは、自然な欲求ですよね。
後苑は、基本的には王室の休息と憩いのプライベートゾーンですが、学問、詩作、科挙試験等、さまざまな季節行事や弓術訓練にも使われていました。
ソン・イルグクさんも、数ある宮の中で最も好きという昌徳宮。その奥の秘宮・・・訪れない手はありません。
駆け足ですが、イメージと見どころを紹介しつつ、この度の韓国旅の記録にしたいと思います。
朝鮮王朝の宮殿の美を語るイルグクさん

特に昌徳宮を撮るのが好き

昌徳宮ぷち解説
1405年に朝鮮王朝の離宮として建てられましたが、壬申の倭乱(文禄・慶長の役)で焼失し、1609年に再建された後、300年間正宮として使われました。
そのため五大王宮の中では最も保存状態が良く当時の雰囲気を今もそのまま漂わせています。
1997年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。
特に正門の敦化門は消失を免れた木材建築で気品ある威容を見せています。
モザイク模様や天井の装飾が美しい仁政殿、華やかな宮廷生活が偲ばれる大造殿、さらに奥には朝鮮王朝時代の粋と言われる後苑(秘苑)が続きます。
涵陽門 ここからが後苑

ここであらたにチケットを買います (優しかった切符切りのアジュシ)
昌慶宮と昌徳宮は隣り合わせになっているので、時間に余裕があるときは、別々に入場料を買わずにこうして連結通路を通って行くとおトクだと知りました
夕日に染まる涵陽門。何とも言えない色。季節ごとに、又、時間ごとに微妙に変化する美しいグリーン

この仄かな色彩が、イルグクさんの愛でる韓国の美なのでしょうね
昌徳宮の後苑(フウォン)
昌徳宮の後苑は太祖時代(朝鮮時代の初代王)に造成されたもので、国王をはじめ王族の憩いの場でした。裏庭は、もとは北苑、禁苑と呼ばれましたが、高宗時代(26代王)以降に今の名前の「後苑」と呼ばれるようになりました。
自然の美を生かして造られ、当時のままの姿を保ち、必要な所だけに手が加えられた韓国最大の庭園でもあります。 芙蓉亭と芙蓉池、宙合楼と魚水門、映花堂、不老門、愛蓮亭、演慶堂など数多くの亭と泉がいたる所にあります。 もとは咸寧殿の南にあり、咸寧殿の正門として使われていましたが、1938年に今の場所に移され、興天寺の梵鐘と報漏閣の自撃漏(水時計)を保管する楼閣として使われています。
うっそうと大木が茂り谷や池、川などが自然そのままに配置された庭園の中にある宙合楼からは素晴らしい景色が望めます。
美雨の今回の昌徳宮訪問の目的も、まさにこの後苑でした。
後苑は日本語、英語、韓国語のガイドつきで見学することになっています。
<特に印象深かったいくつかの名所 プチ紹介>
芙蓉池(プヨンジ)

もともとここには池がありましたが、空は丸く、地は角張ってるという陰陽五変説に従って、四角い池を地に見立て、空を象徴する丸い島を造ったといわれています。池の水は地下水や雨が降る時には、西の渓谷の水が龍の頭の石像を通して流れて入って来たりもし、池ではコイやフナを育て、船を浮かべて釣りや船こぎを楽しんでいました。
芙蓉亭(プヨンジョン)

芙蓉亭から松島を挟んで 宙合楼を臨む
昔は、科挙試験に合格したら、宙合桜(チュハンヌ)へあがって数万巻の本を読み、能力を伸ばせる機会を与えられるといわれ、それをお祝いしていたところです。
魚水門

ちょっとズーム。この門、どこか主張が感じられていいですね。宇宙楼を守るかのように建っています
演慶堂(ヨンギョダン)エリアへ

王宮のゲストハウス。韓屋(ハノク)が連なる。すごく懐かしいすてきな景色
朝鮮第23代王、孝明世子が純祖28年(1828)に当時の士大夫(朝鮮時代の上流階級)の家を真似て昌徳宮の中に作った120軒の民家形式の建物です。男性が生活をする舎廊棟(サランチェ)、母屋(アンチェ)、本を保管していた善香斎(ソンヒャンジェ)など男女別の小部屋に分かれています
サランチェ

母屋と続いており、サランチェは主人が昼に居てゲストを迎える広間と広間に出入りする全室のようになって、夏に多く利用されている
善香斎(ソンヒャンジェ)

本を保管する書庫としての役割と共に、図書室としても使われていたところです
中門間行廊棟(チュンムンガンヘンナンチェ)

小さな部屋で構成されているが 宴会などのために壁に接してこれを大型宴会場で活用できるように
建築がされている。
ユニークで印象深い門たち
修仁門 演慶堂(ヨンギョンダン)の母屋正面玄関であり、長楽門を入ると西にある可憐な門。

"修(水)"、(仁)は、孔子の中核思想であることから、 門の意味解釈:"獣人(修仁)"は、"ある(仁)を拭く"という意味から採られているそう。
不老門(プルロムン)

この門はちょっと特別な門。王の長寿を願って建てられたもので、今でもこの門をくぐった人は、長生きするといわれています。
あずま屋が また 素敵!
はじめは六角堂と名づけられたが、尊徳亭と呼ばれるように

二重の屋根と柱が特徴。天井中央には王権の象徴である龍が描かれている

数あるあずまやもそれぞれ趣が違って美しい。好みの東屋を探すのも風流かも
昌徳宮全景

むすびに
世界遺産だけあり、やたら敷地が広い景福宮より、やはり奥深い歴史を感じました。ソウルの喧噪がうそのよう。 ソウルにおける一番の歴史的スポットかもしれません。
ジンクスでも、景福宮が ”不吉の王宮” と言われた270年間、ここ昌徳宮は離宮でありながら王族の御所としての役割を果たしました。
ついつい街の顔である景福宮と比べてしまいますが、あちらよりこじんまりしているものの、実際に王室の人たちが暮していた空間が随所に垣間見られるので興味深い昌徳宮。
石畳ひとつ取っても意味があり、中央は高く端に行けば低くなっています。 階級別に歩く場所が違うのです。 また、凹凸は、ころばぬように下を見て あるかせる(=頭を下げてあるかせる)工夫だとか。 当時の社会を垣間見た気がします。
また、王妃を守る女官が使っていた小さな部屋が内庭をぐるっと囲んでいるのを見て、薄い障子一枚で、極寒の韓国の冬を過ごすのは厳しかった筈、そんなことを思いながら回るとこの宮を楽しめると思います。
美術愛好家でもあるイルグクさんが愛するこの昌徳宮、丹青(ダンチョン)の碧に、秋の 色づいた赤、黄、紫の木々が、まるで一幅の絵のように 織りなす世界は 森羅万象すべての調和と自然の奥妙な意味を描き出すかのようでした。
ソウルに月曜組の美雨は昌徳宮となかなか縁がなかったものの、後苑は季節でいうと紅葉の季節が最も素晴らしいのよ、と今回空港でガイドさんから聞いたのを思い出し、本当に一番最初に出会う宮との感動を、秋の精が、今回のためにこそ大事に大事にとっておいてくれたような・・・
本当にそんなふうに思えた昌徳宮&後苑ウォークでした。
何よりも、万物との調和を通して縁起のよい吉象を随所にちりばめた昌徳宮、ここには韓国の理と智、芸術魂が余すところなく溶け込んでいるかのようです。
美雨
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世界遺産 昌徳宮(チャンドックン) 後苑ウォーク
昌徳宮は、李王朝時代に建立された離宮。公的空間「宮閥」と王家の居所「宮」、王たちの憩いの庭園「後苑」にわけられる。
後苑では300年を超える巨木と池、東屋(あずまや)が見事に調和しており、敦化門や錦川橋など、貴重な文化財が遺されています。

はじめに
月曜日休館というこの宮、不思議とご縁がなくて、過去二回とも行こうとすると月曜日。(涙)
土曜日着の、月曜帰りの駆け足ツアー、着いた土曜日しかチャンスはありません。ハイ、行くっきゃありません。
しかしながらいつもストレスフルなのが、パッケージツアーのルールです。宿と航空券のセットになったパックでは、せっかく観光目当て午前着便を選んでも、必ずと言ってよいほど土産物屋、免税店へと自動的に連れて行かれ、ホテルのチェックインが3時だから、という理由で、自分にはありがた迷惑な免税店に他のパッケージ旅客と運ばれてしまい、貴重な何時間かを奪われてしまいます。せっかく午前中にソウル入りしても、ホテルに三時では、そのあと急いでも間に合わないことに。それで団体客送迎バスサービスを放棄して、ひとりで地下鉄でホテルへ。荷物を預け、身軽になって昌徳宮へダイレクトにgo!
そう、ありがたいことにホテルのあるプモンからはダイレクトに昌徳宮にバス便が出ていたのです。
バスで約30分、午後二時には憧れの昌徳宮へ到着!
お目当ての後苑ガイドの入場時間は制限があり、午後は12:30,14:30,最終は16:30となっています。
友人とこの宮の正門で落ち合う約束をし、次の後苑入場の時間をチェックしつつ、彼女が着くまで隣の昌慶宮を散策したりしていました。
しかし、初めてソウルに来た友人は、お祭りの渋滞につかまってタクシーでホテルから一時間半詰められてしまったそうで、初めてでも地下鉄を勧めるべきだったかな、と反省。しっかりものの彼女なら来れそうでした。
なんとか16:30分の後苑の最終入苑に滑り込みセーフ♪ 昌徳宮の女神よ、ありがとう・・・!

昌徳宮 仁政殿
自分には一寸いかつめらしい閣内各司、まつりごと各省庁の壮麗な楼閣は、景福宮はじめお腹いっぱい観ていたこともあり、やはり、李王朝の究極の癒しのスポットであり、秘宮、禁苑とよばれた、奥のカーテンを覗いてみたいいと望むのは、自然な欲求ですよね。
後苑は、基本的には王室の休息と憩いのプライベートゾーンですが、学問、詩作、科挙試験等、さまざまな季節行事や弓術訓練にも使われていました。
ソン・イルグクさんも、数ある宮の中で最も好きという昌徳宮。その奥の秘宮・・・訪れない手はありません。
駆け足ですが、イメージと見どころを紹介しつつ、この度の韓国旅の記録にしたいと思います。
朝鮮王朝の宮殿の美を語るイルグクさん

特に昌徳宮を撮るのが好き

昌徳宮ぷち解説
1405年に朝鮮王朝の離宮として建てられましたが、壬申の倭乱(文禄・慶長の役)で焼失し、1609年に再建された後、300年間正宮として使われました。
そのため五大王宮の中では最も保存状態が良く当時の雰囲気を今もそのまま漂わせています。
1997年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。
特に正門の敦化門は消失を免れた木材建築で気品ある威容を見せています。
モザイク模様や天井の装飾が美しい仁政殿、華やかな宮廷生活が偲ばれる大造殿、さらに奥には朝鮮王朝時代の粋と言われる後苑(秘苑)が続きます。
涵陽門 ここからが後苑

ここであらたにチケットを買います (優しかった切符切りのアジュシ)
昌慶宮と昌徳宮は隣り合わせになっているので、時間に余裕があるときは、別々に入場料を買わずにこうして連結通路を通って行くとおトクだと知りました
夕日に染まる涵陽門。何とも言えない色。季節ごとに、又、時間ごとに微妙に変化する美しいグリーン

この仄かな色彩が、イルグクさんの愛でる韓国の美なのでしょうね
昌徳宮の後苑(フウォン)
昌徳宮の後苑は太祖時代(朝鮮時代の初代王)に造成されたもので、国王をはじめ王族の憩いの場でした。裏庭は、もとは北苑、禁苑と呼ばれましたが、高宗時代(26代王)以降に今の名前の「後苑」と呼ばれるようになりました。
自然の美を生かして造られ、当時のままの姿を保ち、必要な所だけに手が加えられた韓国最大の庭園でもあります。 芙蓉亭と芙蓉池、宙合楼と魚水門、映花堂、不老門、愛蓮亭、演慶堂など数多くの亭と泉がいたる所にあります。 もとは咸寧殿の南にあり、咸寧殿の正門として使われていましたが、1938年に今の場所に移され、興天寺の梵鐘と報漏閣の自撃漏(水時計)を保管する楼閣として使われています。
うっそうと大木が茂り谷や池、川などが自然そのままに配置された庭園の中にある宙合楼からは素晴らしい景色が望めます。
美雨の今回の昌徳宮訪問の目的も、まさにこの後苑でした。
後苑は日本語、英語、韓国語のガイドつきで見学することになっています。
<特に印象深かったいくつかの名所 プチ紹介>
芙蓉池(プヨンジ)

もともとここには池がありましたが、空は丸く、地は角張ってるという陰陽五変説に従って、四角い池を地に見立て、空を象徴する丸い島を造ったといわれています。池の水は地下水や雨が降る時には、西の渓谷の水が龍の頭の石像を通して流れて入って来たりもし、池ではコイやフナを育て、船を浮かべて釣りや船こぎを楽しんでいました。
芙蓉亭(プヨンジョン)

芙蓉亭から松島を挟んで 宙合楼を臨む
昔は、科挙試験に合格したら、宙合桜(チュハンヌ)へあがって数万巻の本を読み、能力を伸ばせる機会を与えられるといわれ、それをお祝いしていたところです。
魚水門

ちょっとズーム。この門、どこか主張が感じられていいですね。宇宙楼を守るかのように建っています
演慶堂(ヨンギョダン)エリアへ

王宮のゲストハウス。韓屋(ハノク)が連なる。すごく懐かしいすてきな景色
朝鮮第23代王、孝明世子が純祖28年(1828)に当時の士大夫(朝鮮時代の上流階級)の家を真似て昌徳宮の中に作った120軒の民家形式の建物です。男性が生活をする舎廊棟(サランチェ)、母屋(アンチェ)、本を保管していた善香斎(ソンヒャンジェ)など男女別の小部屋に分かれています
サランチェ

母屋と続いており、サランチェは主人が昼に居てゲストを迎える広間と広間に出入りする全室のようになって、夏に多く利用されている
善香斎(ソンヒャンジェ)

本を保管する書庫としての役割と共に、図書室としても使われていたところです
中門間行廊棟(チュンムンガンヘンナンチェ)

小さな部屋で構成されているが 宴会などのために壁に接してこれを大型宴会場で活用できるように
建築がされている。
ユニークで印象深い門たち
修仁門 演慶堂(ヨンギョンダン)の母屋正面玄関であり、長楽門を入ると西にある可憐な門。

"修(水)"、(仁)は、孔子の中核思想であることから、 門の意味解釈:"獣人(修仁)"は、"ある(仁)を拭く"という意味から採られているそう。
不老門(プルロムン)

この門はちょっと特別な門。王の長寿を願って建てられたもので、今でもこの門をくぐった人は、長生きするといわれています。
あずま屋が また 素敵!
はじめは六角堂と名づけられたが、尊徳亭と呼ばれるように

二重の屋根と柱が特徴。天井中央には王権の象徴である龍が描かれている

数あるあずまやもそれぞれ趣が違って美しい。好みの東屋を探すのも風流かも
昌徳宮全景

むすびに
世界遺産だけあり、やたら敷地が広い景福宮より、やはり奥深い歴史を感じました。ソウルの喧噪がうそのよう。 ソウルにおける一番の歴史的スポットかもしれません。
ジンクスでも、景福宮が ”不吉の王宮” と言われた270年間、ここ昌徳宮は離宮でありながら王族の御所としての役割を果たしました。
ついつい街の顔である景福宮と比べてしまいますが、あちらよりこじんまりしているものの、実際に王室の人たちが暮していた空間が随所に垣間見られるので興味深い昌徳宮。
石畳ひとつ取っても意味があり、中央は高く端に行けば低くなっています。 階級別に歩く場所が違うのです。 また、凹凸は、ころばぬように下を見て あるかせる(=頭を下げてあるかせる)工夫だとか。 当時の社会を垣間見た気がします。
また、王妃を守る女官が使っていた小さな部屋が内庭をぐるっと囲んでいるのを見て、薄い障子一枚で、極寒の韓国の冬を過ごすのは厳しかった筈、そんなことを思いながら回るとこの宮を楽しめると思います。
美術愛好家でもあるイルグクさんが愛するこの昌徳宮、丹青(ダンチョン)の碧に、秋の 色づいた赤、黄、紫の木々が、まるで一幅の絵のように 織りなす世界は 森羅万象すべての調和と自然の奥妙な意味を描き出すかのようでした。
ソウルに月曜組の美雨は昌徳宮となかなか縁がなかったものの、後苑は季節でいうと紅葉の季節が最も素晴らしいのよ、と今回空港でガイドさんから聞いたのを思い出し、本当に一番最初に出会う宮との感動を、秋の精が、今回のためにこそ大事に大事にとっておいてくれたような・・・
本当にそんなふうに思えた昌徳宮&後苑ウォークでした。
何よりも、万物との調和を通して縁起のよい吉象を随所にちりばめた昌徳宮、ここには韓国の理と智、芸術魂が余すところなく溶け込んでいるかのようです。
美雨
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