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2018.10/05 [Fri]
大河ドラマ 八重の桜 第12回 蛤御門の戦い

歴史ドラマ 八重の桜 第12回 蛤御門の戦い
あの名作が帰ってきた!
10月5日~10月10日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本 ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
出演者・・・綾瀬はるか、西島秀俊、長谷川博己、オダギリジョー、綾野剛、玉山鉄二、市川実日子 ほか
「これが いくさか」覚馬の呟きが痛切に響いた蛤御門の変。ついに会津は長州との泥沼の闘いへと突入。
復興にむけて頑張る福島と東北に熱くエールを放つ大河ドラマ”八重の桜”、
共に楽しみつつ、愛の桜前線を拡げていきたいですね!
チャンネル銀河八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/movie-detail/index.php?film_id=16839

八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA
第12話あらすじ
1864(元治元)年7月18日。容保排除を目指して長州が挙兵し、禁門の変(蛤御門の戦い)の火ぶたが切られる。憤った会津家老は直ちに出陣を命じ、長州の主力である伏見の福原越後討伐隊に一番隊を差し向け、二番隊は御所の警護、覚馬ら大砲隊には伏見と御所の二手に分かれて進軍するよう指令が下る。皆が慌ただしく動き回る中、覚馬はふと歩みを止める。伏見の軍勢が本当に長州の主力なのか、ひっかかったからだ。
案の定、天王山の長州陣営で指揮を執る真木と久坂は会津の主力が伏見に向かったことを受け、その間隙をついて一気に御所に攻め入ろうとしていた。長州の狙いは松平容保であったのだ。
一方、会津では八重(綾瀬はるか)が、開戦直前に覚馬から手紙で勧められた尚之助(長谷川博己)との縁談に心を悩ませていた。覚馬は、士官が認められない尚之助も、八重の婿となれば藩士となり、新式銃の話も進められると考え、父権八もそれは妙案だと大乗り気。しかし八重はずっと兄のように慕ってきた尚之助と夫婦になることに戸惑い、断る姿勢を見せると、尚之助が機を制したように、私も断るつもりでいた・・鉄砲隊の改革のためとはいえ小細工を弄するなど、覚馬さんらしくない、と言い、八重は急に気まずくなってしまう。
伏見街道に向かった会津藩は長州兵が既に大垣藩の攻撃を受け、死体も置き去りに引き上げていた事を知るが、大蔵は、あまりにあっけない戦ぶりを訝しく思い、実は伏見の軍勢がおとりで、抑えが手薄な嵯峨や天王山から都に攻め入る策かもしれないと勘づく。それを聞いた内蔵助は、ただちに引き換えし禁裏へ向かう。
蛤御門では、木島又兵衛率いる長州兵が「奸賊・容保をを討ちとり、都を守る」という大義を掲げて御所に銃を向け、覚馬(西島秀俊)ら会津の鉄砲隊が応戦する。長州の勢いに押され、慶喜(小泉孝太郎)や容保(綾野剛)が率いる幕府軍は劣勢を強いられるが、そこへ西郷吉之助(吉川晃司)が率いる薩摩藩の鉄砲隊が現れる。薩摩の助けもあり、勝利を収めた会津藩。しかし、覚馬は爆裂により眼部に深手を負い、焼け野原と化した都の惨状に驚く。
会津藩士を「鬼」と呼び小石を投げる子供たちを制し、私財で炊き出しを振る舞っていた武器商人の大垣屋は、あらためて自らを罪深い商売やと恥じ、覚馬に問う。「西洋の学問でも、町を焼かずに済むいくさのやりようは、わからぬものだろうか」と。その言葉に、覚馬は胸を痛めるのだった。
・・・ということで、次回は第13回「鉄砲と花嫁」です。
※蛤御門の変とは・・・元治の変(げんじのへん)、禁門(皇居の門、の意味)の変とも。前年の八月十八日の政変により京都を追放されていた長州藩勢力が、会津藩主・京都守護職松平容保らの排除を目指して挙兵し、京都市中において市街戦を繰り広げた事件。京都市中も戦火により約3万戸が焼失するなど、応仁の乱以来の戦火に見舞われた大事件。ちなみに蛤御門の本来の正式名称は「新在家御門」だが、天明8年(1788年)京都の大火で御所が炎上した際、滅多に開かなかったこの門が開いたので「焼けて口を開く」ハマグリ門、と名付けられた。
八重の桜12話 ぷち・ギャラリー
おとっつぁま、何をあんなに悩んでるだべ?鍋のふたのことだべか

うーん、合うかな、合わねぇかな・・・ 絡め手から攻めるか?

おとっつぁま、もしや兄つぁまに何か大事が?
いや・・そうではない。八重、おまえ、尚之助どのとめおとになれ ”え・・えっ!?"

覚馬からの文で、いきなり八重と尚之助の縁談をもちかけるが・・・
わだすはいやでごぜぇやす

会津に来てもう七年・・兄のように慕っていた尚之助を今更旦那様などと呼べないと思う八重
庄之助の様子を伺うが・・・

私もお断りするつもりでした。覚馬さんらしからぬ愚策ですよ

それを聞き、ちょっと(´・ω・`)ショボーンな八重
<その頃 京では 長州との争いが泥沼化し、ついにいくさへ突入>
蛤御門外

火を噴く鉄砲 鉄砲同士の対戦に

長州の遊撃隊司令官 木島又兵衛を狙う覚馬 ズダーン!!

あんつぁま、命中!
しかし、覚馬もまた爆風を受け目をやられてしまう「さ、さすけねえ」(大丈夫、の意味)

でも痛そう・・・
四方から攻める長州に押され、会津劣勢のなか、救世主の薩摩勢到着!

自らの病を おして、帝と公家の不安を落ち着かせようと努める容保

「誓ってお上を守護奉りまする!」 爆音にうろたえ、逃げ腰になる公家を説き伏せる
御所では敗北した!久坂、はよ逃げよう!

そんなことが出来るか!長州は止められんぞ、あとに続く者たちがおる お前だけ逃げろ
長州最後の拠点、鷹司邸の壁を狙う大砲

コソコソッ ボ・・ボクは違うやり方で道を開くんだ

女々しくて女々しくて女々しくて辛いよ~♪ またまた逃げの小五郎・・・もはや才能?

河原で焼け出された子供と一緒に泣き崩れるが・・・
あ、ありがとなし

会津か大砲で最後の砦を突破した話を聞き、覚馬の活躍だと分析し家族を安心させた尚之助に礼を
実は、わだすもあんつぁまの安否のごどでうろたえていました 武家の女でありながら・・・

涙を拭おうとする庄之助だが・・・
恥じらう二人

これが戦か・・・

何百年もかかって築いた町をたった一日で焼き尽くしてしまった
焼け出された難民や子供たちに、私財で炊き出しをする商人大垣屋清八

「戦するのはお武家さんの商売、そのお武家さんより御用を賜るのがわいらの商売や。せやけど、
罪とがもない子供らが酷い目に遭うのを見ると、つくづく罪深い商売やと思います
このくらいさせてもらわんと罰があたりますわ」

・・・!!
八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記
「これが いくさか」
覚馬の呟きが痛切に響いた第12話。
「強き者は、初めは讃えられ、次に恐れられ、末は憎しみの的となる」
尚之助の口からなにげに放たれたこの言葉が、呪詛のように脳裏をリフレインしています。
蛤御門の戦い――すごい迫力でした。さすがは大河ですね、長州との初めての戦凄まじくもリアルで血沸き肉躍る映像となって迫ってきました。
また、維新直前の武器や戦略、フォーメーションなどが実にリアルで微細に描かれていて、覚馬が衝車代わりに用いた巨大な四斤山砲(フランス式大砲)にゲベール銃、スペンサー銃、新式のエンフィールド銃...旧式の武器から最新式の兵器までお目見えし、その銃声や爆風の煙硝、地響き・・・全てが戦国や江戸時代のいくさと格段に違い、ダイナミックでした。
蛤御門の勝敗は戦況をみて蛤御門へ送った西郷の采配で趨勢が決まったとも言えますが、四方に囲まれて危機一髪だった蛤御門の覚馬の前に颯爽と現れた予期せぬ援軍、薩摩の幟旗が翻ったときは胸が熱くなりました。
西郷の頼もしさ・・・さすがは維新の三傑、にじみ出るオーラが違います。
しかし、三傑の一人でありながら、未来の木戸孝允 こうして会津視線で眺めると、あまりに情けなや・・・というか、か、カッコ悪い役ですね。^^;
テレ朝の信長とは大違い、及川ミッチー どちらも天才的に上手いです。
しかしながら、非常事態になると、すんでのところで危急を察知しては天才的な逃げの才覚(?)を発揮する桂小五郎、見方を変えれば、花と散った松陰塾同門の久坂玄瑞が遺した、”誰かあとに続いてくれる”の志の引き継ぎ役として、この屈辱に耐え、残された者の使命を立派に果たし、朝敵の長州の汚名を返上して王政復古後は新政府の重鎮として大活躍していくわけですから。生き残ったのが桂小五郎(木戸)でなく久坂や真木だったら、薩長同盟も実現せず、維新は成立しなかったかもしれない。
そして、まだこの時期までは味方同士だった薩摩と決別させた勝海舟や坂本竜馬に複雑な思いがよぎります。
司馬遼太郎先生によれば、この頃内乱で日本が弱体化していくのを憂える坂本竜馬は日本を異国から守る為自らの思想を発し、その手始めに、諸藩の中でも有力な薩摩藩・長州藩が手を組む事を実現化させようと南行北走するのですよね。
いや、むしろ土佐と海軍操練所、薩長に京都と駆けていたので東走西奔というべきか。
敗北者サイドで描かれている八重の桜では竜馬の登場で、蛤御門の変以来敬遠の仲のこの二藩がどう幕府と相対していくのかも楽しみなところです。
世の中は動いています。
佐久間象山亡き後、八重の桜でもたびたび出てくる勝海舟も、日本の未来に向け人材を育てるために奔走していました。しかし、海舟塾を創設するのに、幕府からは資金援助は全く無く、これを解決したのが坂本龍馬です。
資金繰りに於いても交渉の天才であった竜馬は、師であった勝海舟のためにひと肌脱いで松平春嶽を訪ねるのです。
春嶽と言えば、会津の容保に京都守護職を押し付けた張本人、それをきっかけに会津は賊軍となってしまったので、八重ドラマファンには春嶽は憎まれ役です。
もとい、坂本竜馬、ここでも何と春嶽から5000両もの大金を借りることに成功しています。さて、あの狡猾な松平春嶽、いったい何を根拠に巨額の融資をしたのでしょう。
それは船を操り、海外との交易を盛んにする事で生み出される利益を分配するという条件・・・つまりは、春嶽は海舟塾の株主になったという訳ですね。こういった発想が、後の亀山社中、海援隊へと引き継がれていくので、歴史は面白いです。
リスキーな賭けではあるが、この位の暴利が見込めないと、一筋縄でいかない春嶽から金を引き出せるはずもありません。八重の桜ファン――― 会津側からすれば、仲良しだった薩摩と決別させた竜馬の才覚がなんとも憎たらしく思えるところです。
さて、京都守護職を会津に指名し、承諾を渋った容保に会津の御家訓まで持ち出して説き伏せた、松平春嶽、言いだしっぺくせに、一年も経たぬうちに職務は慶喜と容保に丸投げして、さっさと帰ってしまったという・・・あれで四賢候というのですから、歴史ってどこまで皮肉なのでしょう。この人は、会津が負けようが長州が負けようが痛くも痒くもないのですから。
世に言う歴史とは、勝者の歴史と言われますが、八重の桜を見ているとこの言葉を痛切に感じますね。
けれど、既に幕藩体制に亀裂が生じていた当時、異国の脅威にさらされていた日本全体を考えれば佐幕派も尊王派もなく、一致団結をしようと 大局を捕えていた春嶽も、見方によっては一廉の人物だったのですよね。
そして
容保も、勝、竜馬、西郷に小五郎、春嶽にしても、共に国の未来を憂える 愛国者であり、どの藩の人もみなそれぞれ正義感や思想を持っていました。長州と薩摩、会津と長州、事実そのものに善悪はなく、立ち位置や見る角度によって、変わってくるのでしょうね。
それに強いエネルギーが加わると、衝突になり、いくさになり、維新になってしまうのでしょうか。
だからこそ幕末は面白いのかもしれません。
美雨
八重の桜



Q.さて、この二人、八重の桜では、どこのカップルでしょう?
っな、なんて怪しげな・・・いかにも危なげなヒトたちですが・・・なんか、お似合いな気も^^;

かいとうは ↓↓↓ こちら
っな、なんて爽やかな・・・

清楚な神保修理夫婦。
信長のシェフを見ていて、あのカッコイイくのいち楓、どこかで見た顔・・・とずっと悩んでいたのですが、OPのテロップで芦名星さんの名を見て、歯はさまったものがやっととれました。神保修理さんの奥様だったのですね。
八重も羨む夫婦仲の神保雪さん、東山温泉で 鳥居に願掛け石を投げて、失敗してしまったら「必ず戻るから運試しなど無用だ」とアツアツの旦那様に慰められていた雪さん・・・会津戦争・涙橋のヒロインでした。
しかし、変われば変わるものですね。いかにも危なげなカラマーゾフ長男の満さんも大変身ですが、くのいちの雪さんには面喰いました。(*_*;)
でも、そんなところもお似合い❤八重の桜には、素敵なカップルが多いですね!
さて、変われば変わると言えば・・・逃げの小五郎さん、あまりに情けないので、中の人(ミッチー)ファンの我が家としては、カッコイイほうのミッチーを見ては心なぐさめています。
というか、カッコイイほうが出演している「信長のシェフ」が終わってしまって、寂しいばかり・・・あんな謎大き終わり方ってあるでしょうか!?ヨーコも戦国時代に戻って来てるいるし。いかにも続編希望!の声を待ち望んでるようなイヤらしさが最高です。でも、そうしたら信長のイヤらしい毛皮姿もまた見れるのかも?
しかし役者ですね~!こんなにも違うもの?

いつか、こんなカッコイイ桂小五郎が見たい(>_<)
ぷち・幕末用語コーナー
八重の桜にもしばしば顔を出しますが、幕末って、似たようなややこしい用語が出てきますよね。そこで、似て異なる、またニュアンスの一寸違う用語をおさらいしてみました。
倒幕派・・・文字通り、幕府はもういらない。邪魔、倒してしまおう、という思想。長州藩、(のちの)薩摩藩は討幕派。
佐幕派・・・佐幕派は文字通り「幕府を補佐する」の意。幕府指揮のもとで攘夷を行おうという思想のニュアンスも有り。しばしば倒幕派と対比するために佐幕派とも呼ばれる。会津藩、新選組などが佐幕派。
公武合体派・・・佐幕寄りの中間派のような形で公武合体派というものが存在した。 公(朝廷)と武(徳川幕府)が協力し政治を行おうといった思想。土佐藩、越前福井藩、宇和島藩などが提唱。
尊王派・・・皇室を尊ぶこと。当時の流行思想というかほとんど常識なので親藩でも新撰組でも幕臣でも将軍様でも「尊王」主義者であった筈。攘夷と組み合わせる時は「尊王攘夷」で、勤王攘夷とは言わない。しかし後に幕府に失望した層が幕府を廃して朝廷を中心とした体制を築こうとするに至って勤皇と攘夷が結びつき倒幕へと進むことになる。
勤王派・・・文字通り、皇室の為に働くこと。突き詰めると、天皇中心の政体にすべき、幕府はもういらなう、倒幕だ、という革命思想としてのニュアンスも有り。志士と組み合わせる時は「勤王の志士」で、尊王の志士とは言わない。
※ありていに言えば、「勤王」と「尊皇」のどこが違うのかというと、「勤王」は「佐幕」と相対する思想であるということ。
今日も読んでくれて、オブリガーダ♪(南蛮風の桂小五郎)

きてれつな いでたちであんパオンを食べる小五郎はんより
八重の桜 各話レビュー
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html
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