Entries
2018.12/21 [Fri]
大河ドラマ 八重の桜 第43回「鹿鳴館の華」

歴史ドラマ 八重の桜 第43回「鹿鳴館の華」
あの名作が帰ってきた!
平日 朝8:00~午前9:00 深夜1:15~深夜2:15(月~金、毎日放送)
制作年 2013年
制作国・・・日本 ジャンル・・・歴史ドラマ
総話数・・・全50話
43回の視聴率は11・5%「お二人とも!理屈ばっかりで埒があかねえなし。腕相撲で決着をつけんべ!」かつて命がけで銃を撃ちあった大山と八重、捨松の結婚をかけた勝負の結果はいかに?復興にむけて頑張る福島と東北に熱くエールを放つ大河ドラマ”八重の桜”、共に見守りつつ、虹の桜前線を拡げていきたいですね!
チャンネル銀河・八重の桜HP https://www.ch-ginga.jp/feature/yaenosakura/

八重の桜OP、BGMにドゾhttp://www.youtube.com/watch?v=6tDZC6aTUxA
第43話あらすじ
明治16(1883)年、1月、山本家に山川浩(大蔵;玉山鉄二)が訪れた。覚馬(西島秀俊)とは15年前 戦が始まったとき京都で別れて以来の再会であった。若家老として会津の苦難を最後まで背負った大蔵の苦労を思うと会うのも恥じ入られたと詫びる覚馬に、大蔵は自分こそ戦に敗れあわせる顔もなかった、と、手をつき合い涙する。襄(オダギリジョー)と浩は初対面だ。ひと段落し、浩は妹の捨松を同志社女学校で教師として雇ってほしいと頼む。のちに津田塾大学を開くこととなる津田梅子と帰国した捨松だが、女というだけで国費で留学した自分らに仕事をさせない文部省への不満をを吐露する。当時はまだ女性が職を得てみを立てるのは難しく、姉の操もロシア留学から帰って就職に苦労していたのだ。 襄は、アメリカ時代に面識のあった捨松の十年間の研鑽を讃え、「日本の教育に生かさなければ日本の損失です」と、捨松を歓迎した。八重(綾瀬はるか)は幼馴染の浩(大蔵)を同志社女学校に案内し、昔話に花を咲かせる。浩は「会津の者は中央政府では日陰者だが、健次郎や姉上、そして八重さんのように教育こそが腕をふるえる道かもしれない」と話す。人を育てるのは国を育てることだ、と。「襄も同じことを言います」と頷く八重。帰りぎわ、覚馬は尚之助の遺稿となった「会津戦記」を手渡す。
ほどなく陸軍省人事局に栄転し、東京に戻った浩を、陸軍中将の大山巌(反町隆史)が訪ねてくる。あろうことか大山は、浩の妹、捨松(水原希子)を後妻に欲しいと願い出る。長く留学し西洋の流儀を身に着けた捨松が妻となれば、不平等条約の改正に役立つと説く大山に「妹を道具の様に言うな!」と激怒した浩は求婚を即座に断る。この場に同席していた健次郎は、東大の研究室に捨松を呼び、彼女の率直な気持ちを聞き出す。「日本の為に働けるなら、大山のアクセサリーになります。喜んで」捨松は割り切って考えていた。西洋式のパーティーでも、洋装姿を奇異の目で見られ、まるで外国人扱いで、心折れかけた捨松に、手を差し伸べたのは大山だった。何度かパ―ティーで会っているが、美しい捨松が忘れられない・・・だが、それを理由にしては男の沽券にかかわるのでもっともらしく条約改正を理由に求婚をもちかけたと正直に語る大山に、捨松は好意を抱いていた。しかし大山は仇敵の薩摩。母の艶もまたそのような結婚は藩士の皆様に顔向けできない、と娘を諭す。もと家老の兄のことも考えてやってくれ、と。書斎では浩が「会津戦記」を読んで泣いている。捨松もまた、やるせない思いに涙する。
この頃譲と八重は東京にいた。襄は大学設立の陳情が目的だ。八重は健次郎と浩の手紙から山川家の窮地を救おうと息巻いての上京であった。まずは陳情をと、襄は勝海舟(生瀬勝久)のもとを訪ね、自立した人材を育てる私立大学の必要性を熱く語り、勝からの応援の約束をとりつける。 そして、2人はその帰りに山川家に立ち寄る。山川家には、いつもの如く大山巌が、捨松を嫁にほしいと日参していた。旧薩摩藩士との結婚に怒りを抑えきれない浩と、迷いを捨てきれない妹の捨松。その様子を見かねた八重は一計を案じる。理屈ばっかりで、らちがあかねえなし!腕相撲で決着をつけんべ!大川様、捨松さんを本当に好いてんなら、勝負して奪ってみらんしょ」大山は、会津戦争のおり八重の銃で被弾した右足をたたき、苦笑する。あたかも形を変えた会津と薩摩の戦いだ。今度こそ負けるわけにはいかねぇ――。あの会津戦争の汚名返上とばかりに、息巻く八重。浩と健次郎も応援に熱が入る。昔から力自慢の八重がぐいぐい押していくのを、「大山さま!」と声援を送ってしまう捨松。その声に全員が気をとられ、一瞬気の抜けた八重を、捨松の応援に力を得た大山が猛然と押し返し、八重は負けてしまう。「戦はおわったぞ、山川」「この屋根の下では兄上と呼んでもらおうか」浩が笑い、二人の結婚を認める。負け戦がこんなに嬉しいことは無い・・・八重も二人を祝福する。
同年8月、国会開設に向けヨーロッパを視察し各国の憲法を調査していた伊藤博文が帰国する。前年、大隈重信を政府から追い払った伊藤は、強力な国家に必要なのは官僚組織だとし、東京大学を有能な官僚の育成機関にすると主張する。そして12月、日本の文明開化を示すために開かれた鹿鳴館で、大山と捨松の盛大な結婚披露宴が執り行われた。
・・・ということで、次回は第44話「襄の遺言」です。クリック↓
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-entry-1132.html
第43話名場面
<文部省に女子の高等教育をかけあいに行くが相手にもされなかった捨松>
My ten years, they were waste time!

<15年ぶりの再会、浩(大蔵)と覚馬>
御家老として会津の苦難を最後まで背負われた大蔵様のご苦労察するに・・・

覚馬さん、おやめください!俺も戦に敗れて合わせる顔がなかったんです。
尚之助の遺稿「会津戦記」を渡された浩

「川崎殿には何一つ恩返しできぬまま、悔やんでも悔やみきれません」
<おさななじみ 八重と什の掟を唱和する大蔵>
八重、大蔵「外で女と言葉を交してはなりませぬ、ならぬことはならぬものです。あはは・・・」

<捨松を見初めた大山巌、断られてもせっせとプロポーズ通い>
山川殿の妹を、捨松さんをおいの嫁にいただきたくお願いに参った。

決して不自由はさせんでお願い申し上げる。
<研究室に妹を呼び出し、彼女の気持ちを確かめる健次郎>
一度お会いして自分の目で見定めてみてはどうだ?

<山川家の矛盾に、戸惑う襄>
山川様は捨松さんの就職をすぐに進めてますし、健次郎さんは保留にしてほしいと書いてきている・・

どういうことでしょう??
<大山、猛アタック!>
捨松「梅子、私たちアメリカでも日本でも、外国人扱いなんだわね

Ladies, they are just stared by your beauty.
何度かパーティでお見かけしてかい、美しかおはんのことが忘れられんごつ

ワインをこぼした捨松 フキフキ 「そげなこつはメイドにさせればよか!」「いえ」フキフキ

・・・おはんは外国人などではありもはん。誇り高か会津女子でごわす。
<尚之助の「会津戦記」を泣いて読む大蔵を見てしまった捨松もまた・・・>
川崎先生・・・、登勢・・・会いてぇなぁ。

くっ、うっ・・うううっ
<襄を試した勝>
わかった、応援しようじゃないか、同志社大学の設立を。

10年とでもいい加減なことを言ったら追い返すつもりだった。
<揺れる捨松>
八重さんは、どうして新島さんと結婚したんですか?

それは、襄が言ってくれたから、共に歩んでいこうと・・・何が起きるかわからねぇ世の中だけんじょ、

同じ時を生きてみてぇと思った。そしたら、いつのまにか襄の夢が私の夢になって・・・
捨松「二人のような結婚ならよかった・・・」
<この結婚、腕相撲で決着をつけんべ!>
大山さん、後悔するかもしれませんよ。

妻より相手を心配する襄
八重優勢 「ああっ・・大山様~ッ!」 ついを大山応援してしまった捨松


「あ、危なかとこじゃった・・・戦は終わったどん!山川」

「大の男が情げねえ!・・・じゃ、この屋根の下では兄上と呼んでもらおうか」
負け戦が嬉しいのは初めてです・・・

八重もしんみり
<伊藤博文が帰国、官僚制への強化から徴兵令改正への暗雲がたちこめるが・・・>
先生方にはこの東京大学を有能な官僚の育成機関にしていただきたい

お待ちください!学問は国家によって左右されるものであっては断じてなりません。

大学は政治から独立した教育と研究の場です・・!「ふん、会津モンか」
<鹿鳴館で、捨松と大山の挙式が催される>
時が乗り越えさせてくれるものもある。だけんじょ、俺が忘れぬうちは相手も同じ

逆賊と呼ばれ続けんだろう・・・それでも100年後会津が日本の誉となる日がくっかもしんねぇ。

なんか、もうノリノリの二人
八重の桜、こんなところが好き!感想
今週は捨松が主役でしたね。
ニューヨーク五番街にはエジソンが発明した電燈が昼のようにこうこうと闇を照らし、男女分け隔てなく学問を学んでいるアメリカから、学問の独立さえ計れていない日本に帰って、20年くらい遅れた逆カルチャーショックを覚え、捨松自身のスタンスというか、アイデンティティーさえ失ってしまった境地がわかりました。
襄は、200年、いや300年かかるだろうと言っていました。
思えば 伊藤博文も、まだ懲りていないですね。やはり、木戸、大久保、小松が消えて残った大物とはいえ、伊藤博文も俗物に見えます。このとき岩倉ももう他界していましたし。
強力な国家体制をスローガンに、官立の学生のみ免れる徴兵免役規定をつくり、人材を中央にのみ集める伊藤の作戦は、また襄の心臓に負担をかけそうです。
大隈という最大の敵が下野した今、これは軍国主義へのステップでも、ありますね。
八重の桜では、ちょいダークな伊藤の横顔に
「人民が愚かなままのほうが、政府は国を操りやすい」を連想してしまいます。
捨松に戻しますが、彼女は実際の写真を見ても、現代女性と変わりませんね。
スタイルもよく、確かに異人さんみたい。
明治時代という背景を考えると、相当ぶっ飛んだ女性であったと想像できます。
その当時の日本には、海外経験もある実力者で、捨松に合う男性は大山しかいなかったのではないかとも思えます。 捨松が大山とまだ知り合ったばかりの時に薩摩弁がわからず、英会話で親しくなったエピソードを、特番で見ましたが、そんな片鱗がドラマでもみてとれました。
客観的に言えば、免疫がないから捨松もころっといってしまったといえばそれまでかもしれません。
時代のスタンスとしては確かに道具・・・披露宴招待客から「利用できる女性」というヒソヒソ声が響いていそう。それでも彼女は自分が大山の「アクセサリー」となるのを潔しとし、自分が生かされるよう、逆に利用しているような・・・
そのシチュエーションはどこか、京都府政で覚馬が槇村や岩倉の捨て石になりきることで、彼らの期待に応えながら、その実うまく利用していたような、静かなる戦いを思わせました。
捨松もまた、時代を開く会津女性らしい、小さなハンサムウーマンなのでしょう。
会津らしさと言えば、そう、八重の桜ファンの訪問者様はもうお気づきですね。^^
捨松がワインをこぼした時、そんなことはメイドにさせればよい、という大山に「いいえ」とことわり、
きちんと最後まで自身でふきとる捨松。
開城した鶴ヶ城に足を踏み入れたときも、戦いに敗れた会津の女性達が敵に渡す城を、ちりひとつなく清めている姿を思い出した大山。会津びいきの身としてはちょっと胸のすいた思い。
「おはんは、外国人などではない、誇り高か会津ん女子でごあす」
と言わしめた捨松、
西洋人のように振る舞い、流暢な英語は話しても、まぎれもなく、会津女性のアイデンティティーを持った人。 彼女はそれに気づいているでしょうか。
アメリカ人の合理性とメンタリティーを、会津魂にのせて強く前進しようとする捨松は、どこか昔の八重の面影と被って頼もしい。
けれど、近代の先端を突き進んでいこうとする、捨松の未来志向と逆行するように、自分だけは忘れてはなんねえのだ、と会津をいまも一身に背負って生きようとする浩の使命感・・・動かなくなった左手にさらに重い手枷、足枷をはめるのを見るよう・・・。
尚之助の「会津戦記」を覚馬に渡され、その思いはもっと強くなりそうな。
思うに、尚之助に恩を返せなかった分、彼の熱い涙は、かの『京都守護職始末』1・2、全二巻執筆に注がれた気がします。
この仕事は、健次郎に引き継がれますが、もとを辿れば尚之助のライフワーク。客観的に幕末と戦の動向を視ることが出来た他藩人の尚之助だから書き得た、『京都守護職始末』の雛型です。ここに一途な男たちの綴り重ねた”もうひとつの歴史の真実”を見ることが できますね。
しかし、ファンタジーとはいえ、すっぺったこっぺった屁理屈ばかり飛ばしあう男たちを一喝、
腕相撲でひとの結婚を決めようとは・・・(笑)元祖ハンサムウーマンの八重にしか考え付かない「はなれ技」です。
あの懐かしい血沸き肉躍る戦のBGMに乗り、あたかも形を変えた会津と薩摩の戦いが始まってしまう。
「今度こそ負けるわけにはいかねぇ」
笑ってはいけないけど、この八重節(ぶし)に笑ってしまったの、私だけ?
「後悔しても知りませんよ」と相手の男性を心配する襄に、
「行けーーっ、八重さん」と本気で応援の健次郎、
「撃てーーっ、八重さん」と叫ぶ、妹よりむしろ八重いのちの大蔵(浩)。
重さのなかに、軽さあり、暗さのなかにも明るさのある八重の桜、もう最高です。
本日をもって、山川兄弟の会津戦争は終わった、と大山は言う。
時が乗り越えさせてくれるものもある・・・けれど忘れてはならないものもある。
その責があるかぎり、逆賊と呼ばれ続けるのは必定。
けれど、百年後、汚名を返上し、会津が誉れとなる時代が来るかもしれない――
次は若い者たちの使命だ・・・・これはドラマでなく、真実の声であったに違いない。
そして戦後を生きる捨松。「あなたは未来を生きる人だ」と尚之助のセリフが
鹿鳴館で華麗に踊るステップに重なって聴こえた、第43話でした。
八重の桜




明治政府は、政権発足以来、幕末が結んだ不平等条約の改正に取り組みました。その中心は、関税自主権の回復と、治外法権の撤廃でした。 鹿鳴館は、ときの外務卿(大臣)井上馨により建設された迎賓館でしたが、条約改正のためには、日本が欧米列国に劣らない文化を持つことを示し、社交を通して信頼関係を築くことが必要だと考え、公式の迎賓館の建設を推進したのです。
鹿鳴館には、毎晩のように諸外国の外交官やその家族が招かれ、日本政府の高官や、華族(旧公家・旧大名)などが集められて、宴会や舞踏会、演奏会が催され、慈善バザーも行われました。
鹿鳴館は、イギリス人建築家のジョサイア・コンドルが設計した煉瓦づくり2階建ての建物で、明治16(1883)年、今の日比谷公園付近に建てられました。「鹿鳴」という名称は、古代中国の詩集「詩経」の「鹿鳴の詩」からつけられた名前で、「来客をもてなす」という意味があったのですね。
しかし、条約改正の折衝は失敗続きで、明治20年、井上は外務卿を辞職、一方、鹿鳴館についても、軽薄な欧化政策の象徴で、国費の浪費であり、国民から乖離したもの、という批判が政府内外から寄せられ、同23年に宮内省へ、同27年に華族会館へ払い下げられました。建物は、昭和15(l940)年、老朽化により取り壊されます。
ちなみに条約改正は、治外法権の撤廃が明治27年までに、又、関税自主権の回復は同44年までに達成しています。

八重の桜



~ドラマで流れる中島ノブユキさんの音楽(OST)~

戊辰戦争から15年。舞台が会津から京都へ移り、13話を数えただけなのに、もう、はや15年経ちましたね。
時代も幕末から明治へ、大きく変遷をとげるなか、覚馬や八重の生き方もめまぐるしく進化しています。
そしてドラマ内の音楽もまた、明治時代を迎えて、明るく華やかに、進化していますね、八重の桜。
パイプオルガンの荘厳なしらべにのって、きよらかな白ウェディングドレスに身を包んだ花嫁が新郎の腕をとり、日本で初めてヴァージンロードを歩む姿に思わず目がしらを熱くした視聴者は多かったでしょう。
キリスト教に象徴される教会音楽の透明感あふれる響き、聖なる共鳴和音・・・まさしく八重の桜・京都編の真骨頂といえると思います。
それもそのはず、襄の故郷である安中・新島学園で学んだ中島ノブユキが手がけるこれらのBGM(OST)、教会音楽に親しんだ 中島さんにとって、作曲の原点は讃美歌だったといいます。
今回(43話)のNHKのHPで中島ノブユキさんと彼の音楽がフィーチャーされていたので、とても嬉しくなり、以前のレビューに加筆を加え、八重の桜・OSTについて綴ってみました。^^

安中(あんなか)は新島襄のもうひとつの故郷。襄ゆかりの新島学園で中島さんは学んだ

襄の建てた安中教会
坂本龍一さんの壮大なスケールで展開されるドラマティックなオープニングも素晴らしいですが、ドラマ内で活躍する中島ノブユキさんの音楽が大好き!
棒切れライフルを持った幼くはじける八重を思い出す懐かしいアコーディオンのしらべと、こころ弾むシンコペーション・・・あっ、この音楽はあのシーンでかかったなぁ、あの情景で流れたなぁと、心に浮かべつつ楽しんでいます。
アコーディオン、チェロ、オーボエ、フルート、(パイプ)オルガン・・・中島さんのOSTでは、さまざまな楽器が主旋律を奏でますが、ピアノがとりわけ美しく、イントロダクションから展開部まで導くピアノのフレーズが、私は大好きです。
特にお気に入りなのは、八重の結婚式や、人生の晴れの門出で流れる「輝かしい未来へのエール」。
これ、うちでヴァイオリンで時々 弾いています。原曲はパイプオルガン、ドラマではしばしばチェロのバリエーションで奏でられていますが、ステンドグラスから天使の光がさしこんでくるような神聖な輝きにみちた曲ですね。
八重の人生を奏でる
43回八重の桜NHK/HPのインタビューで、中島さんが語った、心に響く言葉を、こちらにも。
一番好きな音楽のかたち・・・それは、明るい曲でも、解放的な中に悲しさや切なさがにじみ出るものが好きだし、きっと、八重の桜でうったえるべき事のひとつだと思う。辛さの中にも、さきに見える希望に向かって、人は動き出してゆくのでは―――八重たちの生き方がそのままフィードバックして、作曲できた気がします。
第一部(会津編)では、ロマン派的で重厚なところを魅力的に仕上げましたが、第三回目の録音(明治・京都編)では、近代、ことにフランス近代音楽の要素や明治時代の晴れがましさ、華やかさを盛り込んで、ビートの効いたものも引用したりしました。
フィーチャーリポートhttp://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/special/mov/#mov17
「絵は聴くもの、音楽は見るもの」という言葉がありますが、ビジュアルと共に迫ってくる、魂を揺さぶるあのしらべに、いつもどこか賛美歌を聴いているような感覚をおぼえるのは、教会音楽に親しんだ 新島学園出身の中島さんならではの感性かもしれません。
天使の羽のプリズムのように、虹の和音がこころにすーっと入ってくるBGM、至福です。

キャスティング❤今日のフィーチャー 金森通倫・ひ孫はアンパンマン
歴史ブログランキングのお仲間、月猫さまに教えていただきました。m(__)m
「八重の桜」熊本バンドの一人
金森通倫(みちとも)と、石破茂氏との関係、及び、演じ手の柄本時生さんファミリーについて。
ちょっと「クドカン」に似た眉毛太い人がやっでます。
ホントはこんな人です
↓


ホンモノ・金森通倫 金森通倫役、柄本時生
金森通倫(みちとも)
襄によって洗礼を受け伝道師にもなりましたが、協会から離れたり戻ったり、実業家になったり
救世軍に入ったり・・・と 千変万化な人生でした。
晩年ほ 湘南の嶺山で 自然派生活 ・・・
まるて穴居人のように洞窟で暮らして、「今仙人」と呼ばれる自由っぷりでした。
結局 亡くなったのほ福島・郡山でしだが、昭和2O年、終戦の年まで生きてたんですね!89才!
八重同様 江戸の安政から、明治・大正・昭和を生き抜いた猛者です。
「自然派」 ・‥・いいのかもしれない(?)
この人の長男・太郎氏の娘は、石破二朗氏と結婚し茂(後の防衛六臣)を産みます。
「アンパンマン」と親しまれた 石破茂氏は通情のひ孫にあたりますね。
ひいじいちやんが出てくる太河見てるでしょうか?
月猫さまのブログはこちら♪江戸・東京ときどきロンドン
http://tukitodora.exblog.jp/20582201/
行かれた方、帰りに月猫さんのページに歴史バナーをポチっとよろしくデス(^_-)-☆
<柄本家>
柄本明 角替和枝(妻)


柄本祐(長男) 柄本時生(次男)


わ~!(≧∀≦)ソックリですね!!
石破氏vsアンパンマン
金森通倫の孫です!八重の桜よろしく (こちらもソックリ!ご親戚!?

やなせたかしさん、ご冥福をお祈りしますm(__)m

今日も最後まで読んでくれてありがとう☆彡
「八重の桜」各話あらすじ&感想
http://yonipo.blog13.fc2.com/blog-category-81.html
★ポチポチっとしておくれやす♪(>ω<)★(←京都ことばになった八重さん)




(>ω<)4ポチに感謝デス♪
美雨のおすすめブログ
海外旅行は体験談を参考に!

竜宮小僧の旅案内

スポンサーリンク
- at 23:59
- [チャンネル銀河 大河ドラマ八重の桜 再放送]
- TB(0) |
- CO(0)
- [Edit]
Comment
Comment_form