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2019.01/18 [Fri]
洋行した明治の文学者たち
明治の洋行文学者たち
明治時代に活躍した文学者の中で、洋行した人物を10名を抜粋してみました(生年順)。
前回書いた「洋行しなかった文学者たち」の対もないと、片手落ちなので、昨年旅したベルリンの鴎外館の案内もかねて、アップしてみました。

「洋行しなかった文学者たち 」はこちら
https://yonipo.blog.fc2.com/blog-entry-1566.html

映画「舞姫」より
森鴎外
1862-1922年 60才没
ドイツ留学 1884~88年 22~26才
ベルリン、ライプチヒ、ドレスデン、ウィーン
二葉亭四迷
1864-1909年 45才没
ロシア、サンクト・ペテルスブルク 1909年 帰国途上で急死
夏目漱石
1867-1916年 49才没
イギリス留学 1900~03年
南方熊楠
1867-1941年 74才没
アメリカ、キューバ、イギリス私費滞在 1886~1900年
島村抱月
1871-1918年 47才没
イギリス、ドイツ留学 1902~05年
与謝野鉄幹
1873-1935年 62才没
フランス留学 1911~12年
柳田國男
1875-1962年 87才没
ジュネーブ、国際連盟委任統治委員 1921~23年
有島武郎
1878-1923年 45才没
アメリカ、ハーバード留学 ヨーロッパ渡航 1903~07年
永井荷風
1879-1959年 79才没
アメリカ、フランス私費留学 1903~08年
木下杢太郎
1885-1945年 60才没
フランス留学 1921~24年
パリ・ソルボンヌ、リヨン
日清戦争と日露戦争の間、1900年代の初めに集中している。いずれもエリート揃いで国費や大学の派遣留学が殆どで、鴎外と杢太郎は医学者として滞在。富裕な商家の出身である熊楠と荷風は自費。うち4人は40代の若さで亡くなっている、
与謝野晶子
1878-1942年 64才没
フランス滞在 1912年
紅一点、夫の鉄幹を追ってシベリア鉄道に乗ってパリに赴いた女流歌人。
当時のベルリン(1900年ごろのベルリン ウンターデンリンデン大通り)

舞姫にも出てきましたね・・・「ウンター・デン・リンデンの石畳」見送りの風景がロマンティックでした。
現在のベルリン ウンター・デン・リンデン大通り

名の通り、リンデン(菩提樹)通り、の意 あまり変わっていない気がするので不思議。
こちらも大通りの一つ、ブランデンブルグ大通り 突き当りのブランデンブルグ門(工事中ですた。涙)

しかしこちらは豹変しましたね。ベルリンの壁があったころは気安く歩けなかったポツダム地区
<森鴎外記念館をたずねて>
S-Bahn フリードリッヒ通り(Friedrichstrasse)駅から徒歩5分

森鴎外のアパルトメント向かい 2018年3月に撮影
壁に鴎外と書かれた、鴎外のアパルトメント

ブランデンブルク門からほぼ北へ徒歩約10分くらいのところに、かつて森鴎外がベルリン滞在時代に住んでいた館があります。
当時の生活などを知ることができる森鴎外記念館(Mori-Ogai-Gedenkstätte)は、図書館を併設しているこじんまりとした博物館。
リニューアルしたばかりで、和紙や木材を使い和を感じさせる展示になっただけでなく、一つ一つの説明(日本語、ドイツ語)が読みやすくコンパクトになっています。べルリン滞在期間だけでなく、森鴎外の生涯とその生涯に関係のあった方々の軌跡をコンパクトに知る事が出来ます。
場所は、「動物園駅」から「フリードリッヒ通り駅」に向かってSバーンに乗ると、「フリードリッヒ通り駅」へ着く直前、進行方向左側に「鴎外」の漢字が大きく書かれたビルを見る事が出来ます。それが記念館の目印です。ここは、その昔鴎外がべルリンに滞在していた時に最初に住んだ建物で、その一角を使い、記念館として公開しています。
こちらです♪外壁に「鴎外」と無ければ見過ごしてしまいそうな一角

鴎外館、つい最近リニューアルされたんですね

鴎外の部屋は二階

書籍がずらり 日本語とドイツ語の本が半々位

机には、やはりこの本が・・・

現在は一般庶民でも意志と若干の資金さえあれば、誰でも海外に行ける便利な時代となりました。
百年という時の流れと世の中の発展を如実に感じさせられます。
上記は それぞれの部門の大家の集まりですが、とにかく洋行しなければ、新しい文化に触れられない時代でしたから、感化されるにしろ、反発するにしろ、洋行の結果によって、それからの活躍の基盤が出来た訳ですね。
洋行出来た人と、洋行しなかった人の間には、スケールの違いが出来たかも知れません。
日本の近代化の基礎を築いた明治の先人の勲功に触れつにつけ、富士山を仰ぐが如き心地がします。
鴎外は外国語でスピーチをして喝采を受け、熊楠は独学で図鑑を編纂する知識を持ち、柳田は外交官の役割も果たしました。
しかしながら、当時の多くの日本人にとって洋行は叶わぬ夢であっても、別の方向に渾身を傾けて、深い内面世界を築いた文学者も多い。
つまりは、どちらも甲乙つけ難いのですが。
美雨
鴎外さ~ん、エリスですよ♥開けて♪ といってみる美雨

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明治時代に活躍した文学者の中で、洋行した人物を10名を抜粋してみました(生年順)。
前回書いた「洋行しなかった文学者たち」の対もないと、片手落ちなので、昨年旅したベルリンの鴎外館の案内もかねて、アップしてみました。

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森鴎外
1862-1922年 60才没
ドイツ留学 1884~88年 22~26才
ベルリン、ライプチヒ、ドレスデン、ウィーン
二葉亭四迷
1864-1909年 45才没
ロシア、サンクト・ペテルスブルク 1909年 帰国途上で急死
夏目漱石
1867-1916年 49才没
イギリス留学 1900~03年
南方熊楠
1867-1941年 74才没
アメリカ、キューバ、イギリス私費滞在 1886~1900年
島村抱月
1871-1918年 47才没
イギリス、ドイツ留学 1902~05年
与謝野鉄幹
1873-1935年 62才没
フランス留学 1911~12年
柳田國男
1875-1962年 87才没
ジュネーブ、国際連盟委任統治委員 1921~23年
有島武郎
1878-1923年 45才没
アメリカ、ハーバード留学 ヨーロッパ渡航 1903~07年
永井荷風
1879-1959年 79才没
アメリカ、フランス私費留学 1903~08年
木下杢太郎
1885-1945年 60才没
フランス留学 1921~24年
パリ・ソルボンヌ、リヨン
日清戦争と日露戦争の間、1900年代の初めに集中している。いずれもエリート揃いで国費や大学の派遣留学が殆どで、鴎外と杢太郎は医学者として滞在。富裕な商家の出身である熊楠と荷風は自費。うち4人は40代の若さで亡くなっている、
与謝野晶子
1878-1942年 64才没
フランス滞在 1912年
紅一点、夫の鉄幹を追ってシベリア鉄道に乗ってパリに赴いた女流歌人。
当時のベルリン(1900年ごろのベルリン ウンターデンリンデン大通り)

舞姫にも出てきましたね・・・「ウンター・デン・リンデンの石畳」見送りの風景がロマンティックでした。
現在のベルリン ウンター・デン・リンデン大通り

名の通り、リンデン(菩提樹)通り、の意 あまり変わっていない気がするので不思議。
こちらも大通りの一つ、ブランデンブルグ大通り 突き当りのブランデンブルグ門(工事中ですた。涙)

しかしこちらは豹変しましたね。ベルリンの壁があったころは気安く歩けなかったポツダム地区
<森鴎外記念館をたずねて>
S-Bahn フリードリッヒ通り(Friedrichstrasse)駅から徒歩5分

森鴎外のアパルトメント向かい 2018年3月に撮影
壁に鴎外と書かれた、鴎外のアパルトメント

ブランデンブルク門からほぼ北へ徒歩約10分くらいのところに、かつて森鴎外がベルリン滞在時代に住んでいた館があります。
当時の生活などを知ることができる森鴎外記念館(Mori-Ogai-Gedenkstätte)は、図書館を併設しているこじんまりとした博物館。
リニューアルしたばかりで、和紙や木材を使い和を感じさせる展示になっただけでなく、一つ一つの説明(日本語、ドイツ語)が読みやすくコンパクトになっています。べルリン滞在期間だけでなく、森鴎外の生涯とその生涯に関係のあった方々の軌跡をコンパクトに知る事が出来ます。
場所は、「動物園駅」から「フリードリッヒ通り駅」に向かってSバーンに乗ると、「フリードリッヒ通り駅」へ着く直前、進行方向左側に「鴎外」の漢字が大きく書かれたビルを見る事が出来ます。それが記念館の目印です。ここは、その昔鴎外がべルリンに滞在していた時に最初に住んだ建物で、その一角を使い、記念館として公開しています。
こちらです♪外壁に「鴎外」と無ければ見過ごしてしまいそうな一角

鴎外館、つい最近リニューアルされたんですね

鴎外の部屋は二階

書籍がずらり 日本語とドイツ語の本が半々位

机には、やはりこの本が・・・

現在は一般庶民でも意志と若干の資金さえあれば、誰でも海外に行ける便利な時代となりました。
百年という時の流れと世の中の発展を如実に感じさせられます。
上記は それぞれの部門の大家の集まりですが、とにかく洋行しなければ、新しい文化に触れられない時代でしたから、感化されるにしろ、反発するにしろ、洋行の結果によって、それからの活躍の基盤が出来た訳ですね。
洋行出来た人と、洋行しなかった人の間には、スケールの違いが出来たかも知れません。
日本の近代化の基礎を築いた明治の先人の勲功に触れつにつけ、富士山を仰ぐが如き心地がします。
鴎外は外国語でスピーチをして喝采を受け、熊楠は独学で図鑑を編纂する知識を持ち、柳田は外交官の役割も果たしました。
しかしながら、当時の多くの日本人にとって洋行は叶わぬ夢であっても、別の方向に渾身を傾けて、深い内面世界を築いた文学者も多い。
つまりは、どちらも甲乙つけ難いのですが。
美雨
鴎外さ~ん、エリスですよ♥開けて♪ といってみる美雨

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多楽さま
拙いブログですのに、そのように興味をもっていただき、とても嬉しく思います。
> ベルリンの鴎外館、一度は訪れたいと思っていた場所です!
平成の初期はベルリンの壁がそびえ、めったに行けないところでしたが、昔のような検閲も国境もなく、ブランデンブルグ門からすーっと東ベルリン地区にも入っていけるのが嘘みたいです。本当にいい時代になりました。
ベルリンは、いい意味でも悪い意味でも、まだ東ドイツのころの雰囲気も残っていてポツダム地区は明治の香りがして、おもしろいです^^