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2019.01/25 [Fri]
ベルサイユ宮殿
ベルサイユ宮殿

初めてパリを訪れる時、多くの人々が観光プランに入れたいと思う場所は、やはり、ルーブル美術館とベルサイユ宮殿だろう。それぞれたっぷり1日はかかってしまう。ハイシーズン中は、長蛇の列も覚悟しなくてはならない。
ベルサイユを訪れたのは、やはりこんな冬のオフシーズンであった。待ち時間もなく、静かに鑑賞できるメリットはあるが、かなり寒かった。美しい庭園を堪能するには、やはり春から秋、特に紅葉の時期がお薦めなのは言うまでもない。
フランス革命の動乱で荒廃したので、後代になって修復の手が入っている。家具調度品は当時の様式だが、勿論後になって入れたものである。しかし、フランス・ブルボン王朝の栄華の証としてのベルサイユ宮殿の地位はいささかも揺るぎはしない。
ベルサイユを写す数々のスクリーンでは、ロココ様式の過剰なまでの装飾が施された数々の広間が展開する。見方を変えれば、宮殿のプロモーション映画として楽しめるので 今後もっと入場者数が激増するのではないかと予想される。

ベルサイユ宮殿のハイライト、鏡の間
最も有名で煌びやかな鏡の間、国王・王妃の寝室... バロック時代以降にヨーロッパ諸国で建造された主だった宮殿の殆どは、ベルサイユ宮を規範とした模倣・亜流と言っていい。ルイ14世が生涯をかけて建造した、壮大さと豪奢さの極み。この世界に、ベルサイユを凌ぐ宮殿が建てられることは、もう二度とないだろう。そして、多くの宮殿がそうであるように、ベルサイユもまた、実質的な栄華の時代は長くはなかった。
宮殿生活の快楽を心ゆくまで享受したのは、太陽王の曾孫にあたる次王のルイ15世ではないだろうか。
ルイ15世

ルイ15世の寵姫ポンパドール夫人 ロココという一つの時代と洋式を築いた文化人でもあった

二代下って、孫ルイ16世は、豪奢な暮らしには関心も執着もなく、趣味はひたすら狩猟と錠前作り。愛妾を侍らせることにも、全く興味を示さなかった。覇気に欠けるが、ある意味で聖人君子的な人物だったかもしれない。
ベルサイユをテーマにした映画の中で注目すべき場面として、アントワネット妃の初夜と出産のシーンがある。寝室には国王、司教、宮廷人、侍女たちがずらりと居並んでいる。つまり、初夜の床入れの儀式と王妃の出産は公開であったということだ。
アントワネットはフランスとオーストリア両国の条約締結の証として送り込まれたわけで、大使はその結果をウィーンの宮廷に報告する義務があった。
ルイ16世夫婦の寝台

初夜のシーンでは天蓋ベットのカーテンが引かれるが、中世以来の西欧の王家の婚姻における慣習によれば、衆人注視の中で行為が行なわれたという。羞恥心も何もあったものではない。王と妃の言動は全て記録に残され 唯一のプライバシーと云えるのは、寝台のカーテンぐらいであった。
わずか14才でハプルブルグ家からブルボン家に嫁ぎ、7年間は夫婦関係がなかった。その原因は周知のように、ルイ16世の身体的欠陥による夫婦生活不能からである。
これは、兄のヨーゼフ2世がお忍びで(皇帝自身が身分を偽って敵の本拠地に乗り込むとは前代未聞!)ベルサイユを訪問。王と会見して勧めた(映画では象の場面)こともあり、手術によって解決した。
アントワネット自身が母后マリア・テレジア宛に歓びと共にしたためた手紙によれば、1777年8月30日、21才にしてめでたく乙女を卒業したらしい。
美しく豪華な王宮であっても肩の凝る宮廷生活

デコレーションケーキの上の菓子のように時間に弄ばれていたアントワネット
さらに当時は、王妃の出産も公開された。生まれた子が王子か王女か、誤魔化しやすり替えがないように、公明正大に性別を確認する必要があるからだ。妃にとっては王太子を生むことが、レゾンデートル(存在理由)を確固とするための第一条件である。ちなみにフランスの王室典範では「女王」の即位は認められていない。
映画「マリー・アントワネット」では、親王妃に先を越されて男児が生まれる。お祝いの言葉をかけるが、独り部屋に戻って泣き崩れるシーンが可哀相で、思わず貰い泣きしたくなる。
なお、王妃とフェルセン伯爵との実際の愛人関係は、ツヴァイクが書いた伝記では ベルサイユを追われてパリのチュイルリー宮に軟禁された後とされているようだ。この点は、シナリオと微妙に異なっている。
フェルセン伯は最後の騎士として、国王一家への助力を惜しまず、自らの資産を投じてヴァレンヌ逃亡を援護するが、結局は失敗に終わる。
映画マリーアントワネットより

巨大な宮殿より、粗末で小さな農家の館に住まうのを憧れた王妃マリー
ベルサイユは確かに絢爛豪華であるが、それを目にするのは”ときどき”でいい。
毎日暮らす居住空間としては、精神安定上、無理がありそうだ。
アントワネット妃が小じんまりとしたプチ・トリアノン宮や、のどかな田園風のアモー館を好んだ心情は、充分に理解できる。
美雨
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初めてパリを訪れる時、多くの人々が観光プランに入れたいと思う場所は、やはり、ルーブル美術館とベルサイユ宮殿だろう。それぞれたっぷり1日はかかってしまう。ハイシーズン中は、長蛇の列も覚悟しなくてはならない。
ベルサイユを訪れたのは、やはりこんな冬のオフシーズンであった。待ち時間もなく、静かに鑑賞できるメリットはあるが、かなり寒かった。美しい庭園を堪能するには、やはり春から秋、特に紅葉の時期がお薦めなのは言うまでもない。
フランス革命の動乱で荒廃したので、後代になって修復の手が入っている。家具調度品は当時の様式だが、勿論後になって入れたものである。しかし、フランス・ブルボン王朝の栄華の証としてのベルサイユ宮殿の地位はいささかも揺るぎはしない。
ベルサイユを写す数々のスクリーンでは、ロココ様式の過剰なまでの装飾が施された数々の広間が展開する。見方を変えれば、宮殿のプロモーション映画として楽しめるので 今後もっと入場者数が激増するのではないかと予想される。

ベルサイユ宮殿のハイライト、鏡の間
最も有名で煌びやかな鏡の間、国王・王妃の寝室... バロック時代以降にヨーロッパ諸国で建造された主だった宮殿の殆どは、ベルサイユ宮を規範とした模倣・亜流と言っていい。ルイ14世が生涯をかけて建造した、壮大さと豪奢さの極み。この世界に、ベルサイユを凌ぐ宮殿が建てられることは、もう二度とないだろう。そして、多くの宮殿がそうであるように、ベルサイユもまた、実質的な栄華の時代は長くはなかった。
宮殿生活の快楽を心ゆくまで享受したのは、太陽王の曾孫にあたる次王のルイ15世ではないだろうか。
ルイ15世

ルイ15世の寵姫ポンパドール夫人 ロココという一つの時代と洋式を築いた文化人でもあった

二代下って、孫ルイ16世は、豪奢な暮らしには関心も執着もなく、趣味はひたすら狩猟と錠前作り。愛妾を侍らせることにも、全く興味を示さなかった。覇気に欠けるが、ある意味で聖人君子的な人物だったかもしれない。
ベルサイユをテーマにした映画の中で注目すべき場面として、アントワネット妃の初夜と出産のシーンがある。寝室には国王、司教、宮廷人、侍女たちがずらりと居並んでいる。つまり、初夜の床入れの儀式と王妃の出産は公開であったということだ。
アントワネットはフランスとオーストリア両国の条約締結の証として送り込まれたわけで、大使はその結果をウィーンの宮廷に報告する義務があった。
ルイ16世夫婦の寝台

初夜のシーンでは天蓋ベットのカーテンが引かれるが、中世以来の西欧の王家の婚姻における慣習によれば、衆人注視の中で行為が行なわれたという。羞恥心も何もあったものではない。王と妃の言動は全て記録に残され 唯一のプライバシーと云えるのは、寝台のカーテンぐらいであった。
わずか14才でハプルブルグ家からブルボン家に嫁ぎ、7年間は夫婦関係がなかった。その原因は周知のように、ルイ16世の身体的欠陥による夫婦生活不能からである。
これは、兄のヨーゼフ2世がお忍びで(皇帝自身が身分を偽って敵の本拠地に乗り込むとは前代未聞!)ベルサイユを訪問。王と会見して勧めた(映画では象の場面)こともあり、手術によって解決した。
アントワネット自身が母后マリア・テレジア宛に歓びと共にしたためた手紙によれば、1777年8月30日、21才にしてめでたく乙女を卒業したらしい。
美しく豪華な王宮であっても肩の凝る宮廷生活

デコレーションケーキの上の菓子のように時間に弄ばれていたアントワネット
さらに当時は、王妃の出産も公開された。生まれた子が王子か王女か、誤魔化しやすり替えがないように、公明正大に性別を確認する必要があるからだ。妃にとっては王太子を生むことが、レゾンデートル(存在理由)を確固とするための第一条件である。ちなみにフランスの王室典範では「女王」の即位は認められていない。
映画「マリー・アントワネット」では、親王妃に先を越されて男児が生まれる。お祝いの言葉をかけるが、独り部屋に戻って泣き崩れるシーンが可哀相で、思わず貰い泣きしたくなる。
なお、王妃とフェルセン伯爵との実際の愛人関係は、ツヴァイクが書いた伝記では ベルサイユを追われてパリのチュイルリー宮に軟禁された後とされているようだ。この点は、シナリオと微妙に異なっている。
フェルセン伯は最後の騎士として、国王一家への助力を惜しまず、自らの資産を投じてヴァレンヌ逃亡を援護するが、結局は失敗に終わる。
映画マリーアントワネットより

巨大な宮殿より、粗末で小さな農家の館に住まうのを憧れた王妃マリー
ベルサイユは確かに絢爛豪華であるが、それを目にするのは”ときどき”でいい。
毎日暮らす居住空間としては、精神安定上、無理がありそうだ。
アントワネット妃が小じんまりとしたプチ・トリアノン宮や、のどかな田園風のアモー館を好んだ心情は、充分に理解できる。
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oharumama様
ご訪問とコメントありがとうございます^^
> 去年、怖い絵展でマリーアントワネットの最後の肖像をみましたが、すごく優しいお顔をされてたんだなぁ~って思ったのを覚えています。
私もその絵(というか、ラフスケッチでしたね)見たことあります。
いまからギロチン台に向かうのに、少しもたじろぐ様子もなく、王妃としての威厳が溢れてましたよね。
宮廷にいたときのド派手に着飾った若い時の肖像画より、ずっと人間らしい表情が、共感できました(;_;)
>
> ベルサイユ宮殿、一度は行ってみたいなぁ~(#^^#)