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2019.02/18 [Mon]
世界の霊柩車・考
世界の霊柩車・考
(スペインの霊柩車)

まるでフェスタかカーニバルのお神輿みたいですね綺麗!
最近、日本では、金箔を施した豪華な宮型霊柩車が嫌われて、住民の反対運動を伴って、火葬場から締め出しをくっているというコラムをネット記事で読んだ。
縁起でもない・・と敬遠する勿れ。生きとし生ける者の最後に訪れる死。
どんなに死を忌み嫌っても、誰もが最後は受け入れざるを得ない。
急激な都市化と近代化が進む中で、「死」を日常の風景から排除して封じ込めようとする発想も、現代人の目立った行動形態であるように思われる。人生最後の門出を、病院と葬儀屋まかせにして、ビジネス&システム化する傾向は、今後ますます顕著になるだろう。

ちなみに画像は、父が亡くなった時の葬儀の際のものだが、やはり家族の総意で宮型を選んだ。助手席に乗れるのは喪主だけだそうである。
個人的には、簡素で味気ないガラス張りのワゴン車よりも、あたかも走る神殿のごとき、この独特のフォルムが好きである。
世界広しといえども、一般庶民がこれだけ豪奢な葬送車を使える国は、おそらく日本だけではなかろうか。
もしもこれをトップ画像の霊柩車のスペイン等で走らせたら、きっと万人の注目を集めて、「ケ・ボニート!ボクも乗ってみたい!」という人があらわわれるかもしれない。さらに日本から輸入して、スペイン流に換骨奪胎。車体がイエス&マリア&聖人像などで豪華絢爛に装飾されたネオ・バロック様式カトリック宮型霊柩車が登場するかも・・などと想像するとワクワクする。(まさか?笑)
広義に解釈するならば、その国の文化や芸術には「死生観」が密接に関連していると、私はかねがね思っている。これまで様々な国を旅したが、観光名所に加えて、機会があれば、その土地の文豪や芸術家の墓地も訪ねることにしており、しばしば深い感動を覚えることもある。
死を意図的に遠ざけて隠し、封印してしまうことは、人間の感情世界が貧しく底の浅いものになってしまい、ひいては文化の軽薄化にも繋がりかねない・・という気がするが、いかがなものだろうか。
余談だが、テレビ業界においては、番組撮影のためにロケ先に向かう途中で霊柩車を見ると、厄払いになって縁起がよいとされているそうだ。

アルゼンチンの霊柩車 まるで神父さんの帽子と衣装のようなデザインが印象的
Death is the part of life,
本題に戻るが、文字通り 死も人生の一部である。
しかしながら、今生の人生だけがこの世のすべてなのだと解釈し 死を忌み遠ざける人たちは多い。
いま、日本は世界で一、二を争う高齢化社会になっている。
そのわりに精神年齢は低く、実はいつも死と隣り合わせでありながら、死後も自分ですべてが選択できるような錯覚を覚えている老人も少なくないという。
そのため、霊柩車を見るとひとごとのように、あんなセンスのないケバケバした車は、あたしゃ(や亡くなった友人に)相応しくない、極論になると日本の恥、のように言う人も多くなった。
「生きてるときは誰もかえりみてあげなかったのに、死んであんな華美で贅沢な車に乗せてあげたって、死者は喜ばない」と皮肉を込めて。
それはその人のスタンスにも拠るのだろうが、きっとその死を自分に重ねて、身分相応でない恥ずかしいものに乗せられて笑われたくない、という自己嫌悪や一抹のプライドがあるのかもしれない。
昭和に育った自分の時代は、親や家族の死は遺族にまかせる、という信頼の気風があったと思う。けれど、こんな核家族時代、個人主義の時代に突入し、親類、隣人はおろか家族とも絆を結べない殺伐としたこの時代、死は遺族でなく自分で弔い方を選択したい、と思うジェネレーションが増えているのも事実のようである。
勿論、これ以後も、家族の死に立ち会ったら、私はこの宮型の霊柩車を選ぶつもりである。
たとえどんなに故人が勿体ながり、もしくは卑下していたりしても、
死者への礼節というか、死の尊厳は守られるべきと思うからだ。
そして、自分のときは 遺族にまかせようと思っている。
ベニスの霊柩車

ちなみに、救急車もパトカーも舟
しかし、「日本の霊柩車はセンスがない、日本の恥」など、昨今そんな声もあるとは驚いた。
少しばかり、仕事で多くの国を回ってきた自分は、全く逆だと思っている。諸外国にも自慢できる日本の伝統建築装飾であり、優れた葬祭文化の一つであると。
指摘される通り、たとえその人物の生前の身分や人格はどうであれ、死者に対する礼節と尊厳の心が表現された見事なクルマではないだろうか。そして、これを制作した仏具職人が精魂込めて彫っている姿も想い浮かんではこないだろうか。
最後に、日本の霊柩車の歴史的な変遷を紐解いていくみると、宮型車の原型は1920年代、大正ロマンの頃に登場したとある。
大隈重信公の葬儀において初めて装飾を施した自動車が使われたそうである。
当時クラッシックカーは上流特権階級のものであり、一般庶民には別世界の乗り物だろう。そういう意味でも、この宮型の普及は戦後民主化の賜物と云えそうだ。
上には上があるもので、高級外車をベースとしたもの、同じ宮型でも、関東、中部、関西では微妙に材質や形態が違うことも初めて知った。屋根に黄金の龍が載っているのは、これはちょっと過剰気味じゃないかとも感じることはあるが・・・。
中国の霊柩車 意外と地味?パンダがフロントに飾ってあったりして・・・

・・・ていうか次の日は違う用途で使われてそうですねこの車(;'∀')
イギリスの霊柩車 カトリックと違って虚飾を好まないプロテスタントらしい簡素さが。

いかんせん、死んだ後で孝行しようとしても手遅れ、葬いを華美にするよりも、生前に親を大切にすることの方が遥かに大切という意見は、確かに的を得ていると思う。
どうやら、自らの墓穴を掘ってしまったようでもありますね。(苦笑)
美雨
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(スペインの霊柩車)

まるでフェスタかカーニバルのお神輿みたいですね綺麗!
最近、日本では、金箔を施した豪華な宮型霊柩車が嫌われて、住民の反対運動を伴って、火葬場から締め出しをくっているというコラムをネット記事で読んだ。
縁起でもない・・と敬遠する勿れ。生きとし生ける者の最後に訪れる死。
どんなに死を忌み嫌っても、誰もが最後は受け入れざるを得ない。
急激な都市化と近代化が進む中で、「死」を日常の風景から排除して封じ込めようとする発想も、現代人の目立った行動形態であるように思われる。人生最後の門出を、病院と葬儀屋まかせにして、ビジネス&システム化する傾向は、今後ますます顕著になるだろう。

ちなみに画像は、父が亡くなった時の葬儀の際のものだが、やはり家族の総意で宮型を選んだ。助手席に乗れるのは喪主だけだそうである。
個人的には、簡素で味気ないガラス張りのワゴン車よりも、あたかも走る神殿のごとき、この独特のフォルムが好きである。
世界広しといえども、一般庶民がこれだけ豪奢な葬送車を使える国は、おそらく日本だけではなかろうか。
もしもこれをトップ画像の霊柩車のスペイン等で走らせたら、きっと万人の注目を集めて、「ケ・ボニート!ボクも乗ってみたい!」という人があらわわれるかもしれない。さらに日本から輸入して、スペイン流に換骨奪胎。車体がイエス&マリア&聖人像などで豪華絢爛に装飾されたネオ・バロック様式カトリック宮型霊柩車が登場するかも・・などと想像するとワクワクする。(まさか?笑)
広義に解釈するならば、その国の文化や芸術には「死生観」が密接に関連していると、私はかねがね思っている。これまで様々な国を旅したが、観光名所に加えて、機会があれば、その土地の文豪や芸術家の墓地も訪ねることにしており、しばしば深い感動を覚えることもある。
死を意図的に遠ざけて隠し、封印してしまうことは、人間の感情世界が貧しく底の浅いものになってしまい、ひいては文化の軽薄化にも繋がりかねない・・という気がするが、いかがなものだろうか。
余談だが、テレビ業界においては、番組撮影のためにロケ先に向かう途中で霊柩車を見ると、厄払いになって縁起がよいとされているそうだ。

アルゼンチンの霊柩車 まるで神父さんの帽子と衣装のようなデザインが印象的
Death is the part of life,
本題に戻るが、文字通り 死も人生の一部である。
しかしながら、今生の人生だけがこの世のすべてなのだと解釈し 死を忌み遠ざける人たちは多い。
いま、日本は世界で一、二を争う高齢化社会になっている。
そのわりに精神年齢は低く、実はいつも死と隣り合わせでありながら、死後も自分ですべてが選択できるような錯覚を覚えている老人も少なくないという。
そのため、霊柩車を見るとひとごとのように、あんなセンスのないケバケバした車は、あたしゃ(や亡くなった友人に)相応しくない、極論になると日本の恥、のように言う人も多くなった。
「生きてるときは誰もかえりみてあげなかったのに、死んであんな華美で贅沢な車に乗せてあげたって、死者は喜ばない」と皮肉を込めて。
それはその人のスタンスにも拠るのだろうが、きっとその死を自分に重ねて、身分相応でない恥ずかしいものに乗せられて笑われたくない、という自己嫌悪や一抹のプライドがあるのかもしれない。
昭和に育った自分の時代は、親や家族の死は遺族にまかせる、という信頼の気風があったと思う。けれど、こんな核家族時代、個人主義の時代に突入し、親類、隣人はおろか家族とも絆を結べない殺伐としたこの時代、死は遺族でなく自分で弔い方を選択したい、と思うジェネレーションが増えているのも事実のようである。
勿論、これ以後も、家族の死に立ち会ったら、私はこの宮型の霊柩車を選ぶつもりである。
たとえどんなに故人が勿体ながり、もしくは卑下していたりしても、
死者への礼節というか、死の尊厳は守られるべきと思うからだ。
そして、自分のときは 遺族にまかせようと思っている。
ベニスの霊柩車

ちなみに、救急車もパトカーも舟
しかし、「日本の霊柩車はセンスがない、日本の恥」など、昨今そんな声もあるとは驚いた。
少しばかり、仕事で多くの国を回ってきた自分は、全く逆だと思っている。諸外国にも自慢できる日本の伝統建築装飾であり、優れた葬祭文化の一つであると。
指摘される通り、たとえその人物の生前の身分や人格はどうであれ、死者に対する礼節と尊厳の心が表現された見事なクルマではないだろうか。そして、これを制作した仏具職人が精魂込めて彫っている姿も想い浮かんではこないだろうか。
最後に、日本の霊柩車の歴史的な変遷を紐解いていくみると、宮型車の原型は1920年代、大正ロマンの頃に登場したとある。
大隈重信公の葬儀において初めて装飾を施した自動車が使われたそうである。
当時クラッシックカーは上流特権階級のものであり、一般庶民には別世界の乗り物だろう。そういう意味でも、この宮型の普及は戦後民主化の賜物と云えそうだ。
上には上があるもので、高級外車をベースとしたもの、同じ宮型でも、関東、中部、関西では微妙に材質や形態が違うことも初めて知った。屋根に黄金の龍が載っているのは、これはちょっと過剰気味じゃないかとも感じることはあるが・・・。
中国の霊柩車 意外と地味?パンダがフロントに飾ってあったりして・・・

・・・ていうか次の日は違う用途で使われてそうですねこの車(;'∀')
イギリスの霊柩車 カトリックと違って虚飾を好まないプロテスタントらしい簡素さが。

いかんせん、死んだ後で孝行しようとしても手遅れ、葬いを華美にするよりも、生前に親を大切にすることの方が遥かに大切という意見は、確かに的を得ていると思う。
どうやら、自らの墓穴を掘ってしまったようでもありますね。(苦笑)
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