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2013.02/10 [Sun]
NHK大河ドラマ 八重の桜 第6回 会津の決意 あらすじ&感想

NHK大河ドラマ 八重の桜 第6回 会津の決意
最新の回のあらすじ&感想はこちらをクリック↓(「八重の桜」各話あらすじ&感想)
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最近”八重の桜”関連キーワードで検索してご訪問下さる方が大変多くなり驚いています。^^
復興にむけて頑張る福島と東北に熱くエールを放つ大河ドラマ”八重の桜”、
共に楽しみつつ、愛の桜前線を拡げていきたいですね!

NHK八重の桜HP クリック♪http://www9.nhk.or.jp/yaenosakura/
第6話あらすじ
八重(綾瀬はるか)の幼なじみ、山川大蔵(玉山鉄二)の姉・二葉(市川実日子)が、会津藩の有望な家臣・梶原平馬(池内博之)のもとへ嫁ぐことが決まった。次々と嫁ぎ先の決まる八重の周りの女性達を横目に、いっこうに縁談のこない八重だが、まったく焦る様子もなく普段通り薙刀の稽古にはげむ。
一方、江戸では勅命を携えた薩摩が幕府に将軍の上洛を迫る。これを受け幕府は、京都の治安維持にあたる京都守護職の選任へにわかに着手。政事総裁職の松平春嶽(村上弘明)は、かねてから優れた見識をもつ容保(綾野剛)に白羽の矢を立てる。
しかしながら、京都守護職などといえば聞こえはいいが、権威の失墜した幕府では既に抑えきれなくなっていた京都の浪人衆や攘夷派のテロを取り締まる、危険極まりない役目であった。会津の存亡をゆるがしなねない危うい申し出に対し、幕府派と尊王派のはざ間で到底かじ取り出来るキャパシティーのないことを理由に、お役目をを断るよう勧める頼母(西田敏行)。だが、家臣たちの説得もかいなく、容保は会津の家訓を頑なに守ろうと、ついに決断を下すのだった・・・
薙刀(ナギナタ)の腕前もみごとな八重

いつの間にかこんなに大きくなった三郎 しかし姉の腕前に弟も歯が立たず・・・

八重の桜、こんなところが好き!感想&雑記
前回の、松陰の最期から、今回の容保の決断までの流れ、見事でした。
容保の決断は感動しました。歴史小説ではここまで触れられることは少ないと思います。
松平春嶽の老獪ぶり・・・
春嶽をまるで悪役のように仕立てたのは八重:会津サイドで描いたドラマこそなのでしょうね。
そういう意味では、インタビューで小泉孝太郎氏が言っていたように、
二枚舌で小ずるいペアの慶喜に振り回される設定が必然。
でないと、会津の悲劇がドラマチックになりません。
それにしても慶喜と薩摩の関係、史実ではかなり腹の探りあいであったようで、
篤姫との険悪さは、実は島津の台頭に懸念の意志を貫いた慶喜のメンツや
女には負けられない,などの意地からだったのかもしれません。
今回、せっかく家茂も登場したのですから、篤姫と和宮がちょこっとでも出たらもっと面白かった。
今までの大河のイメージをどんどん崩していく山本むつみさんの脚本、私はとてもいいと思います。
↓(下に続く)
今日も西島のあんつぁまが走る!走る!

なんとしても会津に京都守護職を追わせたい春嶽の究極の説得手段は・・・

ちょっと影のある小泉慶喜と、老獪な村上春嶽のコンビ、いい味出してます
そして、やっぱり出てきました、会津のご家訓。
「大君の儀、一心大切に忠勤を存ずべし。ふた心を懐かば、わが子孫にあらず。」
第1話で、死して神になったという会津藩の祖、土津公(保科正之)のご家訓を
ちぎっては投げちぎっては投げしていたのは、この日この時のための伏線だったのですね。
名誉な会津藩主となりえた土津公の魂のようなこのご家訓ですが、会津を滅ぼすためにも一躍買ってしまったという・・・自分を生かしてくれたが、殺しもする、まるで核のような存在ですね。
このご家訓を悪用され、京都守護職を引き受けざるを得なかった容保。
保科家は、徳川家の血筋を継ぐものですから、確かに当然の家訓と言えます。
家老の頼母が「恐れながら」といさめたことも会津のことを思ってのこと。
そしてまた「德川宗家と存亡を共にすることこそ会津の務め、都を死に場所と心得て、共に役目を全うしてくれ」と涙をうかべ家臣に頭を下げた容保も、共に会津のためを思ってのこと。
どちらにも共感できてしまう悲しさ。
ここで、容保が断ればどうなっていただろう・・・そんなアンタッチャブルな”if”すら脳内でドラマ化したくなる、殿様と家臣の緊迫感でした。
タイトルロールである筈の八重の出番が少なく、主人公は実は覚馬なのか容保なのかよくわからないところが逆に心地よく 不自然でない「八重の桜」ですが、歴史と主人公との接点が少ないという溝を埋めていくことが、 今後もこのドラマを面白くするポイントかもしれません。
老獪な春嶽にやはり勝てなかった容保に、なんとしても決定を覆すよう促す家臣ら

京都守護職など、薪を背負って火を消しに行くも同然の危ういお役目!ご辞退を
言うな、頼母!

容保の苦渋の決断と熱い涙
ご公儀と諸藩の動きが活発になる一方、男たちを見守る女性達にも、それぞれの覚悟と決意が、凛とした瞳に偲ばれました。
自身も神保修理との間に縁談が決まり、共に武士の妻となるべく、目上の二葉に婚儀の祝辞を述べる雪子(井上雪)と、薙刀(ナギナタ)に自分の決意を問いかけているような二葉。
結ばれるものあれば散っていく命も。
兄として慕っていた容保の正室になったものの、義姉の照姫に「姉として、わが殿を頼みます」と遺言を託した若き敏姫の「姉として」の前置きが けなげでもあり、女としての物思いを微妙に感じさせた、涙にじませる演出でした。
そして、出世頭の梶原平馬に「打てば響くような女子」と褒められた八重。会津が上洛し帝と幕府の為に都で務めるのは名誉なことと素直に喜んでいるのに、なぜ周囲はますます厳しい顔になっていくのか・・・そんなパラドキシカルな矛盾を”八重の気づき”を通して見る者にうまく伝えている点。
薙刀の勝負で八重から初めて一本をとった二葉の台詞がまた哀しみをそそります。
まだ嫁いでいないのに、いずれ梶原の妻として京に同行し、もしもの時は薙刀を振う決意で、いざ出陣の覚悟を、薙刀にこめたのだと・・・
泣かせます。
また、ひたすら氏神様に旦那さまの無事を祈る、赤子を背負ったうら。
戦いに赴く愛しい人間を思う女たち気持ちは、いつ どの時代も一緒なのだなぁとしみじみ胸に訴えた第6話でした。
・・・ということで、次回は第7話「将軍の首」です。
皆がみな、それぞれに会津を想い、家族を思う


※放映直後、八重のNHK大河HPに、会津の存亡を語るに欠かせない、会津ご家訓と京都守護職に関しての説明が「歴史解説スペシャル」と題して、アップされていますね。幕末と会津に関する歴史がいまひとつわからない方も多いと思います。良い解説なので、どうぞこちらからご覧ください。
クリック→ 会津藩と京都守護職 ~どうして容保は決意したのか~
キャスティング❤今日のフィーチャー
見るほどに、キャスティングいいです、八重の桜。今回もキラリと光る脇役たちをフィーチャーしました。今回フォーカスしたいのは、綾野剛さん、工藤阿須香さん。娘をだしに(?笑)マダムがキャーキャー言う西島さんで無く初老のおじさまばかり(←美雨の好み?)ライトをあててきたので今日はとびっきり若い会津のイケメンをフィーチャー。^^
<会津のナイーブなイケメン藩主と藩士 編>
会津藩松平家 最後の藩主、松平容保役 綾野剛さん 清廉でナイーブなイメージがピッタリ


会津藩第9代容保は、先代の8代容敬(かたたか)の甥で、高須藩松平家から養子に入り、17歳で藩主の座を受け継ぎます。他家から入った者として、身も心も会津の人間となり、頑固な気質で知られる会津の人々を束ねていくために相当な努力をしたはずです。そんな満身創痍を家臣に見せず、見事に会津の殿さまになりきった誇りある容保を、綾瀬さんは見事に演じています。
控室でも、家老役の西田俊之さんや山本圭さん等大ベテランに「殿」と呼ばれて親しまれている剛さん、なんと、本物の容保公のご子孫会われ、容保の人となりについて話を聞いたという。イメージのまま「愚直に容保を生きたい」と言ってしまった剛さんに「まさに愚かなほど真っ直ぐな人でした」と答えが返ってきたとき、もう、本当にこのままいこうと決めたと語る剛さん、愚直なまでに悲劇の殿さまを演じ切ってください。
八重の桜が本格デビューという工藤阿須香さん 元プロ野球選手の工藤公康さんと目がソックリ


今回、やっとオトナの姿で出てきましたね(笑)オトナの三郎を演じる阿須香さん。
偉大な兄と型破りな姉の背中を見ながら育った末っ子の三郎は、八重の子分のような存在で、心底八重に可愛がられたという。初陣の鳥羽伏見の戦いで戦死してしまった三郎の着物をきて、戊辰戦争で銃を構え戦ったという八重のエピソードからも、八重がいかに弟を愛していたがわかろうというもの。
阿須香さんは、兄と姉の差を感じながら、なかなかやりたいことを許してもらえない悔しさ、もどかしさを抱えていた三郎から、現代人で同世代の自分達と同じような立場の男が昔会津にもいたんだと、いまは自信を以て恥ずかしがらずに前へ進めというメッセージを受け取ったと言います。
お父さんよりちょっとだけハンサムな阿須香さん、会津のナイーブボーイを素敵に演じてほしいですね!
美雨のぷち・八重の桜紀行その⑤
~京都で極めるハンサムウーマンライフ~
いま日本は”ハンサムウーマン”に湧いていますね。
振り返ると、第1話から何度この言葉を口にしたことでしょう。ハンサムウーマンは案外、流行語大賞になるかも?なんて楽しい期待を抱いている美雨です。
ただ、ハンサムウーマンとは、単に薙刀が強いとか、鉄砲に長けた男勝りという事でなく、時代を開くほどの女子力がある、という意味で使われているのです。
つい最近、お友達に、とても素敵なテーマ番組を教えてもらいました。
その名も、ハンサム・ウーマンライフ。
それも、八重が第二の人生を描いていく京都にスポットをあてています。
ドラマのネタバレはタブーですが、史実のネタバレはルール違反にならないと思うので、八重のひととなりを偲べるような”八重さがし”を京の風景にしていきたいですね。
清水寺に向かう階段

伝統文化や伝統工芸の中心地である京都は、古くて新しい町です。
古いものを大切に守りながら、一方では新しいものを積極的に取り入れる大胆さのおかげで、
昔と今がうまく共存し、お互いを引き立て合っています。
こうした町だからこそ、この番組のキーパーソン「新島八重」は、自分らしい生き方を全うできたのかもしれません。
今年のNHK大河ドラマ『八重の桜』は、「幕末のジャンヌ・ダルク」「日本のナイチンゲール」
などと呼ばれた八重の生涯を描いています。
会津生まれの八重は、戊辰戦争(1868~1869年)で銃を手に参戦し、多くの苦しみを味わいました。
そして、新たな人生を切り開こうと向かったのが京都です。
嵐山 嵯峨野

維新後
英語、キリスト教、洋装と、八重のライフスタイルは一変し、やがて生涯の伴侶(同志社大学の創始者・新島襄)と出会います。 江戸から明治へ、日本が大きく変わろうとする時代に、伝統を重んじる京都で信念を貫き通し、潔く振る舞う八重は、夫から”she is a person who does handsome;生き方がハンサム,と称されたほど。
八重の生き方に共感を覚える女性も多いことでしょう。
この八重の「京都的なDNA」は、現代にも受け継がれ、伝統に新しい感性をプラスして女性がさまざまな分野で時代を切り開いています。
元祖ハンサムウーマン・八重と今を生きる京都の輝いている女性から、
前向きに自分らしく生きるヒントを見つけたいものですね!



古都の女子力をもとめて ダリア様ありがとうございますm(__)m
夫の新島襄をして「彼女はハンサムな生き方をする人だ」と言わしめた八重

She is a person who does handsome.
八重のスイートホーム 新島旧邸

新婚間もない明治11年(1878年)に建てられました。

ベランダが回っているコロニアル(植民地ふう)スタイル

ヨーロッパの建築の様式をアジアの植民地に合うようにしたもの。

でも日本の場合は少し違う。
西洋のものを感じるけど、一つ一つの部分を見ていくと日本的です。

新島襄もスイートホームの設計に関与したのではないかと言われています。
京都の町家のいろんなセンスが入っていて、それを基本にして構成を
洋風に組み立てるとこんな風になるのでしょうか。
応接間

普通西洋では柱を隠して建てるんですが、日本の町家でも見られるように柱が露出してますね。
ベランダも繋がっていて、窓も西洋風に開き窓になっています。

同志社英学校と類似した作りも特徴

じっさい、八重の住まいは学校の教室や職員室、教会の集会室としても使われていて
八重と襄が学生たちと談笑したり、カルタ取りもしたと言われています。
応接間は生徒たちとのコミュニケーションの場でもありました。
八重が弾いたとされるオルガン

八重さん、本当に何でも出来ちゃうひとだったんですね。
さてさて、これは何でしょう?

そうです!

暖炉なのでした。
暖炉って、西洋館では暖炉はインテリアの一部になりますよね。
壁の中にはめ込んでるし、しかもここから鉄管が回っているんです。
今で言うセントラルヒーティングです。
襄は日本の伝統的なスタイルに西洋風の合理的なシステムを取り入れようとしたんですね。

さて、これは?

そう、トイレ。日本最初の洋式トイレではないかと言われています。
外国で見てきたものを試行錯誤して木で造ったとか。
腰高ですが・・・(笑)
さて、これは?

2階の寝室
木製の枠に金属製のスプリングが組み合わされたベッド。
八重のベッドは少し低くなってます。
これは洋式生活が始めてという八重への襄の気遣いだとか。
素敵な夫婦関係だったんですね。

襄が使っていた書斎

一番の特徴は、この日本の家屋にある障子を入れた欄間です。
家屋の全面に入ってるんです。
これがある種の明り取りになっています。
武家屋敷みたいですね。
欄間に障子を取り付けている

家具も貴重なものが多くてオリジナル家具が残っているのでは
ないでしょうか。それはどれかはわかりませんが、
洋館職人が造った、おそらく最初のころのものではないでしょうか。
襄が亡くなった後も八重は保存して思い出を大切にしていた。
八重の中でもここにいる襄の姿が印象的で大切だったのかもしれませんね。

襄と八重の関係もレディーファーストで人力車で乗ったり、ファーストネームで襄と呼んだりしたので、当時の人たちには不思議に思われていましたが、八重と襄の夫婦生活は対等で愛情深いものだったというのが窺われます。
京都という地は、江戸から明治にかけて活躍した自由民権思想の論客・岸田俊子や、
日本画家の上村松園を育んだ地。
さえきじゅんこ学術博士によれば、京都に住むと、今でも自営業や芸能等の世界で生き生きと活躍する”ハンサムウーマン”に多く出会える、という。
八重も多く伝播したであろう、京女たちの「女子力」はきっと、明治以来の新たな変革の現代を生きる私達に、力強いパワーを与えてくれることでしょう。
八重の桜 各話レビュー
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世界遺産 清水寺

八重の風景を探しに、また京都に行きたいですね❤
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- at 23:00
- [NHK大河ドラマ 八重の桜]
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いねむり姫さま
よっちママさん、思った通りの素敵な方でしたヨ(●^o^●)
お子さん二人ともとてもいい子で、ジェントルマンで、しっかりものの どさん子男児!というかんじでした。
メイドカフェ、ふつうのごはん処っぽかったので次男君が入りたがったんです。
ちょっとディズニーっぽい内装でしたが違和感なかったので入ったら・・・
はい、メイドさんでした。
ご飯が来たら、みんなでかわいいおまじないとか、ジェスチュアをするんですね。
美雨もしっかりやってきました(爆)
ステージでショーがはじまたときは驚きました。
おとなしそうにしていた学生とかサラリーマンのおじさんとかが
一緒に踊りだすんです、しかもちゃんとステップ知ってて・・・(@_@;)こ・・コワイ!!
親子連れはさすがに浮いてしまって、下のコーヒーショップに移動したのでした。
いねむり姫さんもいらっしゃると良かったですね!今度はぜひ。^^