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美雨の部屋へようこそ

ちょっとだけスピリチュアルな世界の旅日記や 文化、歴史のぷち・エッセイを書いています。他にも海外、国内のお気に入りのドラマのあらすじ&感想を勝手気ままに綴っています。

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ナスカの地上絵と女シュリーマン  ~マリア・ライヘ女史 発見にかけた情熱と生涯~

ナスカの地上絵と女シュリーマン  
        ~マリア・ライヘ女史 発見にかけた情熱と生涯~


ペルー・ナスカの地上絵の研究者、山形大学の坂井正人教授の日本人チームが、ハチドリより古いリャマの絵を発見し、世界中で話題を呼んでいます。
今日は、前記事のシュリーマンの女偏とも言える、地上絵の草分けともなった、ナスカの第一人者である元祖マリア・ライへ女史と地上絵についての記事を掲載してみます。

新発見 リャマ

新発見のリャマ地上絵
http://www.asahi.com/articles/ASG585HL3G58UZHB014.html


ナスカの地上絵に興味を持って はやいくとせ経つでしょうか。

この地上絵がどうしてここまで脚光を浴びて有名になったか知ったときの衝撃・・・
ナスカの研究を最初に始めたドイツ人女流数学者マリア・ライヘのことを思い出しました。

マリア・ライヘ女史。
ドイツの女性で、現代のシュリーマンと呼んで過言のない人物です。

つい最近まで、生きて活動してらっしゃいました。

公的研究機関に属することなく、単身ペルーに渡り、ほったて小屋みたいなところに住んで、
何十年も研究し続けた方です。

研究生活数十年目に、彼女のあまりの情熱と気高さに心を打たれたペルー政府が、
ホテルの一室を無料無期限に使ってよいことにしたそうです。
それまで彼女はずっとほったて小屋に住み、研究費用は数学とドイツ語を教えて稼いだといいます。


ナスカの地上絵の存在を世に知らしめたライヘ女子。下はハチドリと特定。
ナスカの地上絵

マリア・ライヘ女史
初代ナスカ研究者


マリアさんの顔写真を見ると分かりますが、男性的な、無駄を削ぎ落とした求道者のような立派なお顔をなさっています。ゲルマン魂というか、大いなる真理に仕えている使命感というか、そういうものが感じられませんか。
確かに好きだけではやれない偉業ですから。

こういうことやる人、もう無条件で尊敬します。まさしく、彼女は草分けです。



ライヘの生前研究していたときの部屋
生前彼女が研究していた部屋

ライヘ博物館の切符
ライヘ博物館の切符


上はペルーに在るマリア・ライヘ博物館で飾られている、マリア・ライヘ女史の自室の写真です。彼女が生活した当時そのままの保存スナップです。マリアは贅沢な生活を好まなかったため、そのメンタリティーを反映してか、質素で小さな博物館ではありますが、ここには膨大な、しかも、全てオリジナルな書類やデッサンがそのまま展示されています。この亜熱帯のこの地域の、しかも乾燥した場所でオリジナルが放置されて大丈夫なのかな?と心配しなくもないですが、国家にレプリカを作る予算が無いのでしょう。現地の案内人もそう説明しているようです。

有名どころで日本では、楠田枝里子さんが「マリア・ライヘ基金」を作ってマリア女史を支えたのはよく知られた話ですが、ライヘ女史が亡くなられてから、どのような活動をされているのか、寡聞にして知りません。

いま、ライヘ女史は、博物館の庭に眠っています。


画像 ナスカの地上絵 ハチドリ
ナスカの地上絵 ハチドリナスカの地上絵 サル
ナスカの地上絵 サル

トップ画の地上絵は ハミングバード(ハチドリ)と言われています。
またどうしてそう言われているのでしょう。

当時(古代に)この土地に住んでいた人達の世界観や死生観を知らない私達は、つい宇宙人への標識やメッセージなどと考えてしまいがちです。
しかしながら、自然や死者を敬い、月や星や太陽から季節や時間を知り、自分で考え工夫しながら暮らしていた古代の人達は、今の私たちよりもずっと人間的で真理を知っていたような気がします。

未開の地域や人々には受け継がれていても、物質文明にどっぷり浸かっている私達には、解けない謎になっている事が多いですね。
けれど、そんな古代の謎解きに挑戦している考古学者や研究者も、インターネットなどを使ってグローバルな視点で捉えられるようになってきたそうですから、新たな真実の解明が期待できそうで楽しみです。


ナスカ 地上絵配置図
ナスカ 地上絵配置図
「マリア・ライヘ基金」を作ってマリア女史を支えた楠田枝里子の本
ナスカ


名声や報酬など関係なしに、「やりたいからやる!」という純粋な思いで、しかも継続して情熱を持ち続けていられるって、すごいことだと美雨は思います。もちろん、単に好きで夢中にやってきただけでなく、そこには決然とした意志を感じます。本当に尊敬します。
私も人から見たら無価値でも自分にとって価値あるものに時間を費やせる人間でいたいです。

憧れたり、素晴らしいと思う反面、 その辛さ、悩み、狂気寸前の心などを考えると、 胸が痛くなる感じもありますが、憧れが消えることはありません。

チンパンジーの研究者のジェーン・グドールといい、ライヘといいい、 すばらしい女性たちですね。真理追究に一生を奉げている女性は、一種、神に身を奉げている修道女的な美しさがあります。

彼女たちの情熱の原動力は何だったのだろうと、子供心にいつも思ってきました。

彼女たちにとって、研究は祈りなんですね。
人の人生にはそれぞれ 人知では計り知れない歴史的な意味があると思います。

そして彼女たちはまた、人間その気になればなんだってできる、と教えてくれている気がします。




美雨



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博物館に現れるリャマ
博物館に現れるリャマより



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「古代への情熱」 夢を掘り当てたシュリーマン

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「古代への情熱」 夢を掘り当てたシュリーマン


クノッソス 壁画 クレタ文明
クノッソス 壁画 クレタ文明


シュリーマンについては諸説あります。

しかし、やはりトロイの遺跡を見つけたことは
歴史的にはすごいことだと思います。

戦争があったのか?大火災があったのか?
ホメーロスの叙事詩は本当にあったのか?

考えるとわくわくしませんか。

夢を抱くのも自分、叶えるのも自分。
シュリーマンはいろんなことを気づかせてくれる偉人です。



シュリーマン著 お勧め本シュリーマン著 お勧め本2
シュリーマン著 お勧め本2


中学生のころ彼の書いた「古代への情熱」に夢中になりました。

あの頃はまだパスポートも持ってない身でしたが、 いつかはトロイ遺跡をこの目で見たいと思ってやみませんでした。
ギリシャ神話は小学生の頃から読んできましたが、 シュリーマンの考古学に対する想いには到底かないません。 子供のころからギリシャ神話が好きな人は少なくないでしょうが、でもまさか大人になってもギリシャ神話が真実だと信じて疑わない人がいるなんて・・・!この本を読んだとき、何よりそれが衝撃でした。

何度も読み返して、夢は自分で掘り当てるものなのだと確信しました。
じっさい、彼に触発されて語学あれこれやってみる人って多いんですよね。
それだけでもシュリーマンはすごいモチベーターです。


シュリーマンがホメロスの叙事詩を信じて彫り続けた遺構
シュリーマンがホメロスの叙事詩を信じて彫り続けた遺構 ミケーネ文明期の黄金マスクが発見された
ミケーネ文明期の黄金マスクが発見された


自分も語学の勉強してトロイ遺跡見に行きたい!そんな夢のサポートをしてくれたのは父でした。

「美雨、スチュワーデスになるんだ。そうすればどこの遺跡にだって好きなだけ行けるチャンスがあるぞ、しかもタダで行けるんだ。大好きなオスカルにも会えるかもしんぞ?」

今思うと100%正しい言ではないとしても(爆)いろんな側面から、憧れの遺跡達に格段にアプローチが近くなるのは事実。そして夢はその通りになりました。

なんでも答えを知っていた父の意見を、素直に疑わなかった自分も幸運だった。
父は実は制服フェチで(母は看護婦でしたし)女性の制服が大好きというイケナイおとーさんでしたが、美雨はそんな父が大好きで、誰より信頼していたのです。

というわけで漫画家か教師になりたかった夢にプラスし もひとつ選択肢を拡げ、早速CAを追加。


シュリーマンが発掘した ミケーネ文明期の黄金の装飾品の数々
シュリーマンが発掘した ミケーネ文明期の黄金の装飾品の数々


ミケーネに行ったのは冬。

シュリーマンの情熱にうたれて二冊目の文庫本をちぎれるくらい読み返しながら、1月に風の吹くミケーネに立つと涙が出ました。
また、シュリーマンが書いた「シュリーマン旅行記 清国・日本」を落ち着いて読み始めたのもその頃でした。
このときの旅行記に関して書くときりがなく、紙面を幾枚も使ってしまうのこここでは敢えて詳しく述べないけれど、シュリーマンやアーサー・エヴァンズの夢のあとを実際に観てきたという感動だけは書きとめておきたいと思う。


ミノア文明(クレタに引き継がれる)の遺構
ミノア文明(クレタに引き継がれる)の遺構


ところで、シュリーマンの、特に語学においての彼の勉強ぶりには舌を巻きました 。

ホメロスの叙事詩は本当のことだ!と証明したいという夢を叶えるために、彼は財を蓄えなければならなかったので、発掘資金のためだけに貿易商を成功させ、また仕事と遺跡の勉強のために13カ国の言語を習得しました。
好きな考古学をやるために、先ず商売で資金を貯めるところは夢を追いつつも現実を見据えています。
そして、語学しかり、世界旅行しかり、好奇心旺盛で見習いたいですね。

実際シュリーマンは母国語のドイツ語以外に、英語、フランス語、オランダ語、スペイン語、スウェーデン語、ポルトガル語、イタリア語、ギリシア語、ラテン語、ロシア語、アラビア語、トルコ語に詳しかったそうです。

シュリーマンの場合仕事上その国の言葉を話せないことには成り立たないという状況が言語習得の後押しになったと思うのですが、 その習得法を書き連ねるだけでひとつの本になりそうでこれまたビックリ。

「古代の情熱」のシュリーマン自伝書の中で、彼がどのように語学を習得したかが書かれています。
超大きな声で暗唱したり、文書いて訂正してもらったり、すごいのは 習得したい言語の本を全文、書写するのは確かに効果がある!と実証していること。

自分レベルで恐縮ですが、確かに付け焼刃の学習法で、美雨も実践たことがあります。
文法を暗記する、というよりも手が覚えてくれることって、ありませんか。(笑)
暗記は大事だと思います。
じっさい、3ヶ月で習得した語学もあると聞いてびっくり。彼のような並はずれた才能と、努力があってトロイの遺跡が発掘されたのだと、美雨は信じて疑いません。

けれど、私はシュリーマンの方法論より精神論を参考にしてます。


シュリーマン 


学者でなかったシュリーマンが発掘したトロイ遺跡は、 考古学に携わるそのスジの人に言わせると、随分乱暴に掘り起こして、その上にあった何層かは 壊滅状態になってしまったとか、 掘り当てた階層は年代的にトロイ戦争の時代のモノではなかったとか まあ色々の所説は飛び交っていますけど 自分は子供の時にシュリーマンの伝記を読んで世界が開けて、 開けた世界に夢がいっぱい広がった爽快感を忘れられない・・・シュリーマンが大好きです。
第一に 学者でもなかったシュリーマンが真実の追究でなく 夢の探求をした人生を歩んだコトに価値があると思っています。

彼が『夢を掘り当てた人』だという事実には何の違いももありません。




美雨


P,S
シュリーマンといえば自分の中で「古代への情熱」だったのですが、「シュリーマン旅行記」という本も面白いです。

シュリーマンは日本にも来ていました
シュリーマンは日本にも来てたんですね




ロシアでの商人時代のシュリーマンより
ロシアでの商人時代のシュリーマン
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ローマ名所考 ~慶長遣欧使節団とチヴィタヴェッキア~

ローマ名所考 ~慶長遣欧使節団とチヴィタヴェッキア~


前回の記事で、スペインでの慶長遣欧使節団を取り上げましたが、今回はローマでの足跡なども添えてみようと思います。

ローマのスペイン階段


初めてローマを訪れる観光客にとって、定番の名所を挙げるとするならば、
バチカン、コロッセオ、フォロ・ロマーノなどであろう。
それらはすでに見ているのでパス。

正味2日間と限られたローマ滞在だったので
ヴィラ・デステを含めた5か所に絞る。

出来れば、アッピア街道にも足を伸ばしたかったが
雨続きで天候が悪く、時間に余裕がなかったのでこの時は諦めた。

何度訪れても見尽くせないローマ。いつかまた機会を作らねば。

Roman Holiday
Roman Holidayより


と言う訳で、二日間のローマ訪問での目玉を三か所記してみた。
まずサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂
次にボルゲーゼ美術館
最後はチヴィタヴェッキア。



その1.サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂

サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂 
サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂 中央大回廊




☆美雨の狙い目①はサン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ教会 ☆

ローマ法王庁がバチカンのサン・ピエトロ寺院に移される前のカトリックの総本山。
その権威は14世紀に分裂した法王庁がアヴィニョンから戻ってきた時まで続いていた。
中央身廊の両側には、12使徒の大きな彫像が並び、
一番奥はペテロとパウロ交差部の透かし彫りの塔の中には、
ペテロとパウロの聖遺物(頭部)が奉納されているらしい。


サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂 21130
サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ中庭から


<サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂について> 

San Giovanni in Laterano:教皇座がヴァティカンに移るまで、長い間カトリック教会の中心的存在であった大聖堂。その歴史はコンスタンティヌス帝がキリスト教を公認した4世紀にまでさかのぼる。1650年に大規模な修復工事が行われ、古いバジリカの形を残しつつも壮麗な大聖堂として生まれ変わった。1870年までは教皇の戴冠式はここで行われていた。




その2.ボルゲーゼ美術館

ローマ考2
雨でかすんでごめんなさい




☆美雨の狙い目②ボルゲーゼ美術館☆

予約しないと鑑賞できない規則があり、前日に電話して番号をとった。
17時から2時間の見学チケットである。
17世紀半ばの個人コレクションで、いずれも美術史上の第一級品揃い。
中でも、バロックの巨匠ベルニーニの彫刻「アポロンとダフネ」「プルートとプロセルピーナ」が素晴らしく、以前から見たいと思っていた。絵画ではラファエロの「一角獣を抱く貴婦人」などの名作がある。
各広間は主にギリシャ神話を題材とした豪華なフレスコ天井画で飾られている。
後代のボルゲーゼ公は、ナポレオンの妹(パオリーナ)と結婚したため
所蔵品の一部は結納金代わりにナポレオンに巻き上げられて、ルーブル美術館に贈られた。
パオリーナ・ボルゲーゼの艶やかな白大理石の彫像が見事である。当
時は肌の表面に蝋を塗って、さらになまめかしく見えたという。


日本でも美術館展でおなじみ「一角獣を抱く貴婦人」
日本でも美術館展でおなじみ「一角獣を抱く貴婦人」



<ボルゲーゼ美術館:Museo e Galleria Borgheseについて>

ローマ、ボルゲーゼ美術館はイタリア・ルネサンスおよびバロック美術を中心としたボルゲーゼ・コレクション を所蔵することで知られる。
ローマ市内、広大なボルゲーゼ公園 (en) の一画にあるこの美術館には、ボルゲーゼ家 (en) 歴代の美術コレクション(ボルゲーゼ・コレクション)が展示されている。ボルゲーゼ家はシエナ出身の貴族で、教皇パウルス5世を出した名門である。
美術館の建物は、シピオーネ・ボルゲーゼ(en、1576- 1633年)が夏の別荘として建てたもので、1613年ごろ着工。完成は1616年(1621年とする資料もある)。設計者はオランダ人のヤン・ファン・サンテン (Jan van Santen) である。シピオーネ・ボルゲーゼは枢機卿であり、当時の芸術家に多くの作品を注文したパトロンでもあった。

建物の完成から約2世紀を経た19世紀初頭、ナポレオン・ボナパルトが、ボルゲーゼ家の多くの美術品をフランスに持ち出し、ルーヴル美術館に移してしまうという事件があった(当時、ボルゲーゼ家は経済的危機にあって所蔵の美術品を手放しつつあった。加えて、当時のボルゲーゼ家当主カミッロ・フィリッポ・ボルゲーゼの妻はナポレオン・ボナパルトの妹ポーリーヌ(伊名パオリーナ)であった。こうした事件を経てもなお、当館にはルネサンス・バロック期のイタリア美術の優品が数多く伝えられている。イタリアの国立美術館として公開されるようになるのは1902年のことである。1階には彫刻、2階には絵画を展示する。





その3.チヴィタベッキア

チヴィタベッキア
チヴィタベッキア



☆美雨の狙い目③チヴィタベッキア ☆

地中海に面したローマの外港、電車で片道1時間20分。
目的は宮城県から寄贈された支倉常長の銅像を見ることである。
手元には市内地図もなく、どこにあるのかも解らない。
駅前に停まっていた市バスの運転手に聞くと、
「ああ、イシノマキか。ちょうどその前を通るから乗るがいい。10分もかからないよ」との答え。
「石巻」と頭にインプットされているのが面白い。
ちなみに石巻の博物館には一行が太平洋を横断した「サン・ファン・バウチスタ号」の復元船が停泊している。この町に何度も訪問団がやってきたのだろう。
セビーリャ近郊コリア・デル・リオ、メキシコのアカプルコと合わせて世界には3つの支倉常長銅像が在る訳だが、さらに最近になって、キューバのハバナにも建ったという話も聞いた。
彫刻家佐藤忠良氏の著作権があるので、仙台の青葉城のものも含めて全て同一である。



チヴィタヴェッキア港
ローマ考3
雨でかすんでごめんなさい


<チヴィタヴェッキアについて 日本との関わり>

チヴィタヴェッキアは日本との関わりが深い街である。
1615年に慶長遣欧使節団を率いる支倉常長が日本人として初めてチヴィタヴェッキアに上陸した。武士姿の支倉の銅像が建立されている。
支倉常長が出発した地である石巻市と姉妹都市である。
海岸沿いに日本聖殉教者教会がある。
同教会は第二次世界大戦で破壊されたが、1951年再建にあたり、内装を日本人宗教画家長谷川路可が担当し、内陣5面の日本聖殉教者殉教場面とエピソードのフレスコ壁画、内陣天井画として和装の聖母子像と聖人像、会堂両側の壁龕6面の聖画を6年がかりで独力で描き上げた。この功績により、1954年10月、長谷川路可はチヴィタヴェッキア市名誉市民に列せられている。また、帰国後の1960年、第8回菊池寛賞を受賞した。なお、長谷川路可は1967年、残された天井画の完成やイスラエルナザレの受胎告知教会に描く予定のモザイク『華の聖母子』制作の交渉でバチカンを訪れ、7月3日ローマで客死した。遺骸はチヴィタヴェッキアに運ばれ、7月7日、同教会でチヴィタヴェッキア市葬が執り行われ、数千名の市民が列席したという。
これら日本との関わりを反映して、町には「日本通り」が存在する。

「日本通り」、これは、すごいことだ。
そして、ここの姉妹都市は石巻市、 ベツレヘムとなっている。

同じく日本を表すスペインのハポン村(コリア・デル・リオ)も感動ものだが、ミッションとしては失敗であったり、客死してしまったとしても、遠い異国に日本の先人たちが残してくれた後世への遺徳に、感謝せずにはいられない。


美雨



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スペインに帰化したサムライ支倉常長より
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スペイン、ハポン村の人々と天皇陛下の短歌 ~伊達家家臣;慶長使節団の子孫はいま~

スペイン、ハポン村の人々と天皇陛下の短歌 
            ~伊達家家臣;慶長使節団の子孫はいま~


アンダルシアの地元紙、Diario de Sevilla に掲載しされた記事。
スペインの友人から知らされた、心あたたまるニュースであり、記録しておきたい。
皇太子当時の陛下がお詠みになった短歌が、コリア・デル・リオで話題になり、ネット上でもハポン村を駆け抜けたそう。
皇居で行なわれた恒例の歌会始、その年のお題は「人」。


皇太子さまの


皇太子さま
 スペインの小さき町に響きたる人々の唱ふ復興の歌
  En pequeño un pueblo de España
  resuenan con emoción los canticos de su gente,
  la canción por la reconstrucción.

以前、日記でもとりあげたが、天皇陛下が皇太子時代にコリア・デル・リオをご訪問なさった時に、視察した小学校で、生徒たちが日本の震災復興ソング「花は咲く」を歌って迎えてくれた様子を思い浮かべて詠んだものと思われた。

慶長遣欧使節のスペイン到来を契機とした日西友好400周年の式典のために、皇太子様はスペインの各都市、マドリッド、サラマンカ、セビーリャ、サンチアゴ・デ・コンポステーラを歴訪されたが「最も印象に残ったのは、コリア・デル・リオ」であったとコメントされたと聞いた。
400年前、慶長使節団が偶然にもスペインにまいた種は、アンダルシアに根付き、ハポン(日本)村という大輪の花と咲いた。そのスペインにまたも栄誉を与えた皇太子(当時)さま。一句、一首のもつ重さと大きさを、しみじみと感じる。



左)、慶長使節団の支倉常長
支倉常長     グァダルキビル河沿いに建つ支倉常長像 おあつらえつきにトリイまで!ここスペイン??
右)グァダルキビル河沿いに建つ支倉常長像 おあつらえ向きにトリイまで!ここ本当にスペイン??


日記の趣旨から少し脱線してしまうが、慶長遣欧使節団について少しふれてみたい。
 
今をさかのぼることおよそ400年の昔、1613年10月28日(慶長18年9月15日)宮城県牡鹿半島の月の浦を、遣欧使節団が出帆した。支倉六右衛門常長を筆頭とする総勢180人余の一行は、太平洋を大きく横断してメキシコを経て、イタリアのローマに向かった。船の名は、サン・ファン・バウティスタ号。[写真下]日本人の手で初めて作られた500トンの洋船だった。
彼らは、野望をもつ仙台藩主・伊達政宗の命を受け、メキシコ、スペイン、イタリア、そしてバチカンと旅したわけだが、遣欧使節の最後は、惨憺たるものであった。
伊達政宗公の命令を全うする手段として彼らはスペインで洗礼を受け、クリスチャンとなったが,出帆から7年後に日本に戻った時は、伊達は政争に敗れ、すでに厳しいキリシタン禁教令下にあったのだ。そのため、常長の帰国後、彼がどこに住み、どのような日々を送っていたのはいまだ全く謎なのである。しかし、彼の死後、一家から多くのクリスチャンが現れている。
また、遣欧使節団のなかには、そのままスペインに残った人々がおり、現地の娘と結婚した彼らの子孫1500人が暮らしている。その名も「ハポン;日本」さん・・・歴史を感じますね。


400年前にスペインに渡った支倉常長の使節団の子孫である、日本をさすハポン姓の人たちと
皇太子さまとコリア村の人たち
懇談する天皇陛下=スペイン・セビリア(皇太子時代)

ハポン(Japon)!ハポン(Japon)!と、ナルヒト!ナルヒト!コールの嵐 (って呼び捨て?^^;
ナルヒトコールの嵐、皇太子さまは大スター並みだったとか
ハポン姓の人達中心に、一万人ものセビリア人たちが大歓迎、スター人気の皇太子さま


日本―スペイン遣欧使節の末裔「ハポンさん」たち、皇太子さま(当時)を熱烈歓迎

日本との交流400周年を迎えたスペインに、日本を意味する「ハポン」という名字の人たちがいる。その数、1500人。400年前にスペインに渡った支倉常長ら「慶長遣欧使節団」の子孫とされる。14日夜(日本時間15日未明)、同国南部のセビリア市にハポンさんが集い、陛下と懇談した。

 使節団は1614年、セビリア近郊の市コリア・デル・リオに滞在。7人前後が帰国しなかったことが分かっており、郷土史家らは「子孫らが祖国ハポンを名乗り始めた」という説を唱えている。

ハポンさんたちも日本とのつながりを強く意識する。14日昼にコリア・デル・リオを訪れた皇太子(当時)さまを、ハポンさんを中心に1万人近くが出迎え、「ハポン!」コールを上げた。「支倉常長協会」会長のファン・フランシスコ・ハポンさん(44)は「ハポンの名字にみんな誇りを持っている。日本人の特徴である蒙古斑(もうこはん)がある人も少なくはない」と話した。
2014年訪西時、朝日新聞ニュースより抜粋


支倉常長の船を復元した帆船サン・ファン・バウティスタ号
支倉常長の船サン・バティスタ号を復元した帆船 常長の故郷、宮城、石巻のテーマパーク
石巻市にあるサン・ファン・バウティスタパーク(震災前)


また、こんなホッコリする日本らしいニュースも・・・

皇太子さま、スペインの支倉常長ゆかりの地に桜植樹 
滞在先のセビリアからグアダルキビル川を船で下るなどして、コリア・デル・リオを訪れた。仙台藩が派遣した「慶長遣欧使節団」がスペインで最初に滞在した町で、陛下は使節団を率いた支倉常長の像の近くに桜の苗を植えた。
像は1992年に宮城県が寄贈したもの。

ソースhttp://www.47news.jp/CN/201306/CN2013061401002345.html

今回、ハポン村の子供たちが陛下に歌ってくれた「花は咲く」は、震災復興応援大河ドラマ「八重の桜」の主人公、八重と古郷福島復興を祈ったヒット曲でも知られる、国民的な復興ソングともなった、感慨深い歌でもある。

このように、日本を愛し、憂えてくれる血のつながった民が、地球の裏側で日本を応援し、天皇陛下を慕ってくれるというのは、なんとも喜ばしく、慶長使節団が当時のミッションに失敗したとしても、未来の日本国のために残してくれた遺徳は、測りがたい。

「花は咲く」 この歌です 日本語で歌ってくれたハポン村の人々、涙出ますね
https://www.youtube.com/watch?v=_RwTct8K2JM 
https://www.youtube.com/watch?v=7IHFqgPj1Tc

グアダルキビル河畔、支倉常長像脇に桜を植樹する陛下
植樹される皇太子さま



さて、ハポン村から離れて、上皇陛下の歌である。

上皇陛下
 戦ひにあまたの人の失せしとふ島緑にて海に横たふ

沖縄の戦没者への思いと平和への祈念が溢れている。
南洋の島を静かなまなざしで見つめるお姿に、上皇陛下の温厚な人柄が滲み出ている。私は過去2度において那覇から慶良間諸島に渡ったことがあるが、そこは沖縄戦の前哨地として米軍が上陸した時に、島民の集団自決が行われた場所であることを、本島の知人から知った。
 そして、ひめゆりの看護隊が散っていった本島の南部は、今ではリゾート地の風景に変わりつつある。時は流れても歴史の記憶を風化させてはならないという願い。昭和天皇への万歳を叫びながら斃れていった人々への鎮魂を、平成の世に皇位を継承した者としてお詠みになった深い歌である。
さて、ここまで記した後にネットニュースの解説を読むと、作首の舞台は太平洋戦争の激戦地となったパラオのペリリュー島をご訪問された時の印象とのこと。沖縄ではなかったが、戦争の悲劇が起こった土地という点では共通する。



慶良間ブルーな海
慶良間の海(2014年、美雨撮影)

皇族の方々がお詠みになった幾つかの短歌に伺われるのは、震災被災者に寄り添う心。あの苦難の出来事から早くも8年目を迎えて、多くの日本人の記憶から徐々に薄れつつある昨今、こうした形で歌に刻んでくださるのは、本当に尊いことである。



美雨


 最後まで読んでくれてグラーシャス!
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日本酒で乾杯するハポン(日本)村の女性たちより  (どこか日本人の面影が?)



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ヴィラ デステと枢機卿の噴水 ~ティボリ~

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ヴィラ デステと枢機卿の噴水 ~ティボリ~

水しぶきの恋しい季節、よければ、記事といっしょにBGMをどうぞ
ツァーベル作 ハープ曲『噴水』http://www.youtube.com/watch?v=M-PRmXjmlAg

ヴィラデステ




エステ家の別荘は、ルネサンス最高峰の庭園があることで知られている。
ローマから30kmだが、地下鉄と路線バスを乗り継いで片道1時間半余り、近そうで遠い。
急いでも半日以上は割かねばならない。 3coins in the fountainという映画を見て、
是非このティボリを訪れてみたい、という念願が叶って、高速バスでローマからこのデステの別荘へ。

人間の想像力と叡智ってなんて偉大だろうと思わせる水の芸術を
これでもかというほどの種類の噴水で表現した水のパラダイス庭園、本当に息を飲むばかりである。




ヴィラデステ 通路にもふんだんに噴水が




ここヴィラ・デステ(エステ家の別荘)の歴史について少し。
1550年、フランス王フランソワ1世の後ろ盾で枢機卿に任命されたイッポーリト・デステは、
次王アンリ2世の下で失脚の憂き目に遭った。その後、このティヴォリの地に隠遁して、
ベネディクト派の修道院があったこの場所に別荘の建設を開始した。
内部装飾はさながら宮殿で、とても聖職者が建てたものとは思えない豪奢さである。
内部の各広間の天井を覆うフレスコ画の鮮やかさも目を虜にする。

ふんだんな水と地形の高低差を利用した巧みな造園術は、当時の技術の粋を極めたものと言える。
ベルサイユ宮殿が完成する以前は、実にこのヴィラ・デステが、ヨーロッパの庭園のお手本であった。




イッポリート・デステ枢機卿
ヴィラ・デステ イッポリート・デステ

内装も豪華 とても元聖職者の館とは思えないほど
ティボリ2




シーズンオフの平日ともあり、人影もまばらで静けさに満ちた庭園散策ができたし、テラスで飲むカプチーノも格別だった。
ここを訪れた第一の目的は「オルガンの噴水」の音色を聞くことだったのだが、このとき故障中で修理が終わるのはいつになるかわからないとのことで(いかにもイタリア的?)残念!
しかしながら、セビーリャのアルカサル庭園の幾つかの部分は、小型の水力オルガンをはじめ、このヴィラ・デステから発想を得ていることが確かめられたということだけでも、充分に目的は達せられた。
庭の真下に、懐かしいエフェソスのアルテミス女神の像で飾られた自然の泉がある。
その名もFontana della Natura. 。
fountain(fontana)とは、噴水という意味と、泉という意味があるのだが、(日本語だとまるで違う語義になってしまうのに対し)ここの泉を見ていると本当に分け隔てがなく、アペニン山脈から噴き出る水の豊かさのせいもあるのだろうが、fountainという独自の響きを強く感じてしまう。




アペニン山脈の豊富な水量を噴水にあしらう贅沢さ
アペニン山脈の豊富な水量を噴水に使う贅沢

ヴィラデステ 夜もまた美しいヴィラデステ
夜もまた美しいヴィラデステ




庭園の奥にたたずむ「エフェソスのアルテミス像 「自然の母なる泉」これも必見に値する。
沢山の乳房から水が噴出している独特の姿をした女神像。
しっかり写真も撮ってある。
してみれば、フェニキアのアスタルテ女神は、ギリシャのエフェソスにおいては、いつしかアルテミス女神に転化してしまったということであろうか・・・。
そのあたりにも、疑問と興味の触指が伸びていきそうである。 (笑)

現地で買ったガイドブックを読むと、これは17世紀初頭の彫刻で、ナポリ国立考古学博物館蔵のオリジナルの彫像からインスピレーションを得たものとあるが、私はそちらの方も見ている。乳房から水を出すという発想が面白いが、ミルクを出したら完璧リアルになりそう。想像するに、館の主が住んでいた当時は、そのようにして、密かに楽しんでいたのかも知れない、と直感で思った。

大地の恵みである水という恩恵と人間の美観、想像力の織りなす見事な水の芸術「噴水:fountain」、絵画や彫刻などより遥かに贅沢である気がする。
ヴィラ・デステは、ルネサンスにおける、古代ギリシャローマの理想を復興させようという精神が、水の演出にも応用されて発展した、その極みと云えないだろうか。



美雨


ツァーベル作 ハープ曲『噴水』


もうひとつ「泉」と名の付く名曲をあなたに(La source)

Hasselmans: La source, Laskine (1963) アッセルマン 泉 演奏リリー・ラスキーヌ

https://www.youtube.com/watch?v=tcCMULv3rN0
こちらもハープの名曲 A. Roussel: Impromptu, Op. 21 (Lily Laskine, harp)



最後まで読んでくれてありがとう: アルテミス女神の噴水より
ヴィラデステ アルテミス女神の噴水


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更新はマイペースで続けていきますのでどうぞよろしくお願い致します。

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